逆境を乗り越える奇跡のポップロックバンド
ボーカリストを喪った悲しみを乗り越えて
毎年様々な夏フェスでも人気の高いスリーピースバンド、フジファブリック。
『夜明けのBEAT』や『若者のすべて』で彼らを知った方も多いのではないでしょうか。
彼らを語る上で欠かすことが出来ないのはやはりバンドの創設者、志村正彦の存在でしょう。
2009年の冬、彼の突然の訃報は当時の音楽界を深い哀しみで包みました。
祝!メジャーデビュー15周年!
2019年にバンドはメジャーデビュー15周年を迎えました。
同時に、志村正彦の没後から10年の月日が経とうとしています。
それでもなお未だに、志村正彦が作った曲はメンバーやファンにも愛されるものが多数残されています。
第10位:歩み続ける事を選んだフジファブリック再起の唄!
『STAR』
第10位はスリーピースとしての復活を選んだ彼らのアルバム『STAR』より、リードトラック『STAR』。
このアルバムから、これまでリードギターを務めた山内総一郎がボーカルを務めるようになりました。
また、メンバー全員が作詞・作曲を務めたアルバムも今作が初となります。
大黒柱である志村正彦を失ってなお、残されたメンバー全員の力でバンドを続ける決意が伺えますね。
アルバム内の1曲目のトラック『Intro』は、『STAR』のイントロ部分として作られています。
心配していたファンの不安を吹き飛ばすかのような、突き抜けた解放感に溢れたサウンドが特徴的な本作。
フジファブリックの決意を込めたリスタートに相応しい曲となっています。
第9位:PUFFYへの提供曲としても人気の1曲!
『Bye Bye』
第9位は2010年リリースアルバム『MUSIC』収録の『Bye Bye』。
このアルバムは、志村正彦が遺した楽曲やデモ音源を残されたメンバーが形にした物です。
実質、志村正彦の遺作となったアルバムでした。
この曲、実は当初はPUFFYへの提供曲として作られたもの。
それをセルフカバーし、アルバムに収録したのがこの楽曲となっています。
生前の志村正彦が居た頃から、多くのアーティストにも愛されていたフジファブリック。
後述の楽曲にも、様々なアーティストに愛されていたエピソードがたくさん出てきます。
志村正彦が亡くなった後も、フジファブリックとたくさんのアーティスト達との交流は続きました。
そんな彼らが主催する音楽フェス『FUJI FUJI FUJI Q』。
志村正彦亡き後もそこに出演するPUFFYが彼らと一緒に歌った『Bye Bye』。
こちらの映像も楽曲と一緒にぜひお楽しみ下さい。
第8位:言い間違いから生まれたアルバムラストナンバー!
『東京』
第8位は2019年リリースアルバム『F』収録のラストナンバー『東京』。
同アルバムに収録されている曲に『手紙』という曲があります。
その曲のタイトルをボーカル山内総一郎が言い間違えた事から作られたという本作。
ミドルテンポな曲の中、際立つ低音のリズムに織り混ぜたストリングスやウィスパーボイスのコーラス。
楽曲としても非常に作り込まれた1曲となっています。
眩い夜の東京を彷彿とさせるサウンドに、そこで暮らす人々の強さを歌う歌詞がとてもマッチしていますね。
東京で活躍し始めたばかりの新進気鋭の若手クリエイターを多数起用し製作されたPVも必見です!
余談ですが『東京』というタイトルには、たくさんのアーティスト達が生み出した名曲が数多くあります。
くるり、きのこ帝国、銀杏BOYZ、Mr.Childrenなどの『東京』が有名どころでしょうか。
様々なアーティストが様々な想いを抱く街、それが東京という所なのでしょう。
また、フジファブリック自身もこれまでに東京に関連する曲をいくつか作曲しています。
『東京炎上』『TOKYO MIDNIGHT』などが代表的でしょうか。
そちらもあわせて聞いてみると面白いかもしれません。