全部 全部 覚えている
波の光 音の狭間で
ふたりは隠れて指をつないでた
出典: 愛のゆくえ/作詞:佐藤千亜妃 作曲:佐藤千亜妃
歌いだしは、愛する人と過ごした時間を思い返しているような歌詞となっています。
”覚えている”という、記憶の中の世界を思わせる言葉。
”つないでた”という過去形の言葉からも、愛する人はもういないのでは感じさせられます。
愛する人はもういなくても、目や耳、皮膚の感覚で、すべて覚えているのです。
愛は この愛は 誰にも言えない
会いたいな 泣きたいな
でも全部消えないように
生きてるの
出典: 愛のゆくえ/作詞:佐藤千亜妃 作曲:佐藤千亜妃
”誰にも言えない”愛。
そんなフレーズから、一見秘密の愛や関係を思わせられます。
しかし私は、”生死”や”愛”などのテーマから別の解釈を感じました。
”誰にも言えない”というのは、「愛している」ということを本当に伝えたい人がいなくなってしまった。
本人にもう伝えることのできない、行き場のない愛。
そういったことを、この歌詞から感じされたのです。
愛する人を失ってしまい、いっそあなたのところへ会いに行きたい。
でも、死んでしまえば、今抱えている愛さえも消えてしまう。
だから、たとえ愛する人のいない世界でも、少しでも愛を残せるように生きているのです。
2番の歌詞
花の名前 知らないままで
傘もささず 眺めていたね
ふたりはひとつになれない
知っていた
出典: 愛のゆくえ/作詞:佐藤千亜妃 作曲:佐藤千亜妃
2番では、再び愛する人との思い出を振り返るような歌詞が綴られています。
日常のなんでもない幸せが思い浮かぶようですが、どうやら別れが来ることを悟っていたようです。
どれだけ愛し合っていても、命はいつか終わりを迎えます。
いつか来る別れからは逃れることはできない。
それは、誰もが心のどこかで認識していることです。
しかし、私たちはその悲しい運命を見ないようになってしまいがちです。
人や、命というもののゆくえや定めを改めて突きつけてくるような歌詞が、この曲には描かれています。
愛は この愛は あなたにも言わない
会いたいな 会えないな
今そっと手放すよ
出典: 愛のゆくえ/作詞:佐藤千亜妃 作曲:佐藤千亜妃
言葉にして伝えられない愛。
会いたくてももう会うことのできない愛する人。
しかし、残された人は生きていかなければならないのです。
いつまでも別れや失ったものを足枷にして立ち止まっているわけにはいかないのです。
”手を放すよ”という言葉は、決して愛する人を突き放すものではありません。
あなたのおかげで知ることのできた”愛”というものの温かさを道しるべにして生きていく。
この歌の主人公は、愛する人との思い出をそっと胸に抱え、前を向いて生きていく決意をしたのです。
大サビ
花の名前を知るとき あなたはいない
会いたいな 泣きたいな
でも全部抱きしめて
生きてくの
出典: 愛のゆくえ/作詞:佐藤千亜妃 作曲:佐藤千亜妃
花というのは、季節の巡りや生死を表すのに多く用いられるものです。
なぜなら、花は毎年咲くものだからです。
たとえ枯れてしまっても、1年後の同じ季節にはまた同じ花を咲かせてくれる。
そんなところからも、人は季節や時間の流れを無意識に感じているのです。
あの日、”名前も知らず見ていた花”。
その花がまた咲いて、名前がわかるときには、愛する人はもういません。
愛する人を失うことの悲しみは計り知れません。
泣いて、気持ちをすべて晴らしてしまいたい。あなたの元へ会いに行きたい。
でも、忘れることも終わらせることもせず、全部抱えて生きていくことを最後に決めたのです。
それは、愛する人のいなくなった世界で、あなたがいたことも含めて全部を愛し抱きしめるという決意なのです。
サビの変化
『愛のゆくえ』のサビでは、愛や会いたいという思い、そして生きていくという気持ちが描かれています。
私は、3回のサビでの未来への気持ちの変化に注目しました。
1番のサビでは、”生きてるの”という、受動的にも思える生への感情が綴られています。
それが、2番のサビでは”今そっと手放すよ”となります。
自分の意思とは関係なく、今はただ生きているとも捉えられる1番に比べ、少し前向きな感情が表れています。
失ってしまった愛する人の後を追うのではなく、自分の道を生きていくことを決意した。
そんな風に感じられるのです。
そして、最後のサビでは”生きてくの”、とより強い意志が感じられる言葉となっています。
受動的だった生への感情が、より能動的になったように読み取ることができます。
生きていくこととは
私はこのサビの変化から、「生きていくこと」とは「前に進むこと」であると感じさせられました。
愛する人を失った世界では、思い出に捕らわれ立ち止まってしまう人も少なくないと思います。
しかしこの歌では、忘れずに、無くさずに、全部抱えて前に進んでいく意思が感じられるのです。
愛は、たとえ存在を失ってもそこに留まってしまうのではなく、生きて進んでいくのです。