愛より恋より 今すぐ君だけがほしい
出典: もしも君が泣くならば/作詞:峯田和伸 作曲:峯田和伸
真っ直ぐ胸に響く愛の言葉。まるで告白の台詞です。
10代は恋に恋するお年頃。
恋を知らないから恋に興味をもち、誰かに恋をする。
相手は誰でも替えがきく、頼りない感情です。
愛も同じで、何度でも愛する人を替えることができる。
軽々しく使われる愛や恋という言葉を否定するのがこの歌詞です。
自分は幻想を追っているのではない。
目の前の君という存在を手に入れたいのだ。
主人公はそのように主張します。
打算が一切ない、本能的な好きを言葉で表現しているのです。
思えば、初恋とはそういうものかもしれません。
肩書きもビジュアルも関係ない、純粋な好意。
少年は少女に、本能的に好きという感情を向けています。
この曲が美しいのは、純粋な恋の歌だからでしょう。
ラララで誤魔化した言葉
人間なんてラララ
出典: もしも君が泣くならば/作詞:峯田和伸 作曲:峯田和伸
また、この後に続くラララは何を言わんとしているか?
前の部分では、人間が駄目だと謳っていました。
ここにはおそらく、本能的な好きを言い換えた言葉がくるはずです。
では、なぜ言葉にしないのでしょうか?
それは、本能的な好きが過激で暴力的なものだから。
人間が人間に好意を抱く本能とは、生殖本能のこと。
ここから先は、野暮なことは言いません。推測してみてください。
ラララには、言葉にできない過激なワードが入るはずです。
答えの解釈は、人それぞれ違ったものでいい。
人が人を純粋に愛することは素晴らしいものに変わりないのだから。
峯田がリスナーに解釈を委ねています。
もしも君が
僕にとっての君の存在
ここから、サビパートに移っていきます。
もしも君が泣くならば僕も泣く
もしも君が死ぬならば僕も死ぬ
もしも君が無くなれば僕も無く
もしも君が叫ぶなら僕も叫ぶ
出典: もしも君が泣くならば/作詞:峯田和伸 作曲:峯田和伸
一度聴いたら、絶対に忘れることのない歌詞。
耳に残る特徴的なメロディー。
この曲の魅力がギュッと詰まった部分になります。
一緒に泣いてくれる人の存在。
1行目の歌詞からは、温かさを感じます。
それが徐々に過激さを増していくのです。
特に2行目の歌詞にご注目ください。衝撃的な内容です。
家族でもない他人と死ねる人は珍しいでしょう。
まるで、愛人と無理心中した太宰治のよう。
なかなか言えない言葉だと思います。
3行目は2行目と近いものがあり、存在意義の話になってきます。
君を好きということが僕の定義であり存在価値。そして生きる理由。
だから君がいなくなったら、僕もこの世にいないのと一緒。
捉えようによっては、重たい愛に感じられるでしょう。
しかしそれは、裏を返せば本気である証拠。
命まで捧げられるほどの愛。
一生に一度でいいから、味わってみたい感情です。
本物の愛は美しいんだ
サビの後に続く、特徴的な英語パート。
I WANNA BE BEAUTIFUL
出典: もしも君が泣くならば/作詞:峯田和伸 作曲:峯田和伸
和訳すると、美しくなりたいという意味です。
ここまでの歌詞で、本能的な愛こそが素晴らしいと主張していました。
しかし、世の中にはそれを否定する声が溢れています。
売れないミュージシャンと付き合う女には、別れることを勧めるのが普通。
不細工な女と付き合った男には、正気かと聞くのが普通。
誰しも、条件的な愛が正しいと思いこんでいるのです。
難ありを選ぶ人はおかしいと決め付けます。
しかし、社会で肯定されている条件つきの愛はどうでしょう?
愛や恋という言葉の影で、恋愛の駆け引きが行われるのは日常茶飯事。
ビジュアルの良い女を、運命の人と呼ぶ男がいます。
そんな男に限って、女が老いて劣化すると平気で見捨てるのです。
また、男を収入だけで評価している女もいます。
結婚して稼ぎが悪くなった瞬間、掌を返すように冷たい扱いをします。
条件的な愛は、すぐに消えてしまうものなのです。