マルチアーティスト福山雅治が人生を歌う!
シンガーソングライター、俳優、ラジオDJ、写真家。
1990年のデビュー以来、福山雅治は活動の場を限定せずファンを魅了し続けています。
どの分野においてもトップレベルの実力を誇る多才さ。
天は二物も三物も与えたのだと思うほかありませんね。
そんなスーパーマンのような彼も、毎年ひとつずつ重なっていく「歳」には抗えません。
今回ご紹介する曲は『何度でも花が咲くように私を生きよう』です。
歳を重ねてもなお何かを探し続ける福山雅治の姿が描かれています。
経験値がもたらすのは余裕だけではない
歳をとったと実感するサインはどこにあるのでしょうか。
福山雅治の場合は、「時間の感覚」の変化でした。
年齢は等しく積み重なっていく
一年が過ぎるのが やけに早く感じて
「歳かなぁ」なんて自嘲したり
手つかずの夢があったり
出典: 何度でも花が咲くように私を生きよう/作曲:福山雅治 作詞:福山雅治
歳を取ると一日が終わるのが早い!という言葉、一度は耳にしたことがあるでしょう。
福山雅治も同じなのですね、少し安心しました。
実は年齢と感じる時間の関係性を物理化学的に証明しようとしている研究者がいます。
日本人に限らず多くの人に共通する感覚なのだといえるのでしょう。
福山雅治は歳が近い友人らと「あっという間に歳とったよな」なんて話をしたのかもしれませんね。
歌詞の中で「自嘲」という言葉が使われています。
自分の親や目上の人が言っていた感覚を、ついに自分も理解できてしまったのです。
いつまでも若くはいられないのだと痛感する瞬間。
見た目は全く年を感じさせない福山雅治も、「歳を取る」という抗えない現象をできれば受け入れたくないのでしょう。
子どもの頃は誕生日が待ち遠しく、一歳上がるだけでできることが多くなる気がするものです。
若い頃に抱いた夢だって「経験を積めば叶う=歳を重ねれば叶う」と信じていたのかもしれません。
しかし実際はどうでしょう。
ある時を境に、歳を重ねるごとに「できないこと」が増えていくのかもしれません。
幸も不幸も知りすぎる
恐いものなんて 今よりずっとなかった
二十代のあの情熱とは 今は違うけど
出典: 何度でも花が咲くように私を生きよう/作曲:福山雅治 作詞:福山雅治
お化け屋敷を例にとってみましょう。
初めて足を踏み入れたときは、どこからどんなお化けが出てくるのか分かりません。
どこでどんな音がするのかも分かりません。だから恐ろしい!
では二度目、五度目、十度目になるとどうでしょうか。
どのタイミングでどんな脅かしが出現するのか知っていれば恐くありません。
これを人生に置き換えてみると、矛盾しているように感じませんか?
確実に経験値を上げているはずなのに、若い頃よりも「一歩」をためらってしまう方が多いのではないでしょうか。
恐らく、知りすぎてしまったのでしょう。
挫折の痛みや苦しみを身をもって知りすぎてしまったからこそ、一歩踏み出すのを躊躇してしまうのです。
しかし、福山雅治の中には未だに駆動し続けるエンジンがあり、どうにかして前に進もうとしています。
まるで彼にだけ吹き続ける追い風のようですね。常に背中を押し続けます。
あるいは、彼だけでなく歳を重ねた誰もの背中に、等しく追い風が吹いているのかもしれません。
まだ、風は吹いている
憧れたものには もうなれないとしても
この道を歩いてみよう 旅を続けよう
出典: 何度でも花が咲くように私を生きよう/作曲:福山雅治 作詞:福山雅治
若い頃は夢や目標に突き動かされ、それを叶えようという強い思いを原動力にしていました。
こんな人になりたい、という理想を掲げてそれに近づこうと努力していた人もいるでしょう。
叶ったとしても、また別の目標を掲げて前に進みます。
あえて「目標」としなくても、漠然と「自分のこういう部分がイヤだな、直したいな」と思うだけでも前に進めます。
もしかすると「今の自分で満足」と思った時点で人は動けなくなるのかもしれませんね。
常に何かを求めているから、人は前に進みます。
若かりし頃よりも前進スピードは格段に落ちたでしょう。目的地はぼんやりしたものかもしれません。
それでも常に追い風は吹き続け、人々はゆっくりとしたスピードで歩みを続けます。
成長はいつでも誰でも
こんなはずじゃなかったんだけど、と苦笑している時点ではまだ伸びしろがある!
まずは今まで社会のルールを守ってきた自分を認め、褒めるところから始めましょう。