助けてくれる人も
わかろうとしてくれる人もいるのに
なぜか弱音ひとつ晒せない
邪魔なプライド
出典: 何度でも花が咲くように私を生きよう/作曲:福山雅治 作詞:福山雅治
年齢を重ねれば、人との関わりが増えていきます。
一生に一度の運命の出会いを経験する人もいるでしょう。かけがえのない親友ができるかもしれません。
本来なら何でも話せる間柄のはずです。しかし何もかもさらけ出せる人は少ないように感じませんか?
弱々しい人よりも頼りがいのある人になりたいと思うのは当たり前のことです。
ネガティブなことばかり考える人よりも、常にポジティブでいたいと思うのも同様です。
「そうありたい」という考え方は歳を重ねるごとに「そうあらねばならない」に変化するのでしょうね。
年齢とともに石のように固く、重くなっていくのが「プライド」です。
愚痴る人より愚痴られる人に。泣きつく人より泣きつかれる人に。
そんなふうに自分を装うたびに「またやっちゃったな」と思うのかもしれません。
あなたの喜びは誰かの不幸
「喜び下手」はいつか治ると
言葉や振る舞いを覚えたけど
これじゃないんだな…
出典: 何度でも花が咲くように私を生きよう/作曲:福山雅治 作詞:福山雅治
幼い頃は誰かに褒められれば手放しで喜べました。
親や友だちに自慢をして回ったかもしれませんね。
しかし年齢が上がるに連れ、成功や喜びは妬みの対象になるのだと知ります。
安易に喜ぶことで「安い人間だ」と評価されるのだと知ります。
気づけばまるでビジネスマナーのひとつであるかのように、謙遜の言葉が身についているのです。
本当は体全体で喜びを表現して、嬉しさを周囲にも伝えたいのに、それができないままここまで来ました。
想像と違うなら、その隙間を埋めよう
正直に生きることの難しさを
噛み締めながら それでもまだ
出典: 何度でも花が咲くように私を生きよう/作曲:福山雅治 作詞:福山雅治
歳を重ねれば生き方がうまくなるかといえば、そんなことはありません。
ストレス社会の中では「自分の心に嘘をつかない」ことが良しとされますが、実践できている人はきっと少ないでしょう。
自分はまだまだだな、と感じると同時に自分の中にはまだ伸びしろがあることに気づきます。
この先まだ変われる可能性を秘めているのです。
適応力を味方につけて
私を続けよう
出典: 何度でも花が咲くように私を生きよう/作曲:福山雅治 作詞:福山雅治
素直でいられた幼少期から、周囲の目を気にするようになる青年期。
大人になって社会の掟を知り、たくさんのルールを知りました。
今があるということは、これらの変化に適応してきたということ。
自分が選択し、育て上げたのが今の自分の姿なのです。
まだ変わる余地があるのなら、このまま追い風に身を任せてみようと歌っています。
変わらないものなど無い
春がきた
今年もまた新しい花が咲くのです
同じ春など二度とないから
出典: 何度でも花が咲くように私を生きよう/作曲:福山雅治 作詞:福山雅治
若かりし頃の一年と、今感じる一年。感じる長さは違っても絶対的な長さは同じ。
だからこそ、一年経てば必ず桜が咲くのです。
つまり、どんなに老いようと与えられている時間は皆同じだという証拠ですね。
毎年同じ樹の同じ枝に同じ色の桜が咲くとしても、その花びらは昨年散った花びらとは別のもの。
公園にある石碑だって何も変わらないように見えて、去年よりもほんの少し風化しているはずです。
あっという間の一年で何も変わらなかったな……と感じても、必ず何かが変わっているのです。
来年の春は更に違う自分になるのでしょう。
ゆっくり歩こう
憧れたものには もうなれないとしても
何度でも花が咲くように
私を生きよう
また春がきた
出典: 何度でも花が咲くように私を生きよう/作曲:福山雅治 作詞:福山雅治
大きな目標に向かって歩くには、時間も体力も必要です。
若者にしか門戸を開いていない道だってあります。
「あの頃抱いた夢を今!」と意気込んでも環境が許さないケースも多いことでしょう。
一方で、自分の中で完結する目標ならどうでしょうか。
例えば「自分に正直に生きる」という目標。
何十年経っても変わらなかったのなら、変えようと焦らずに長い時間をかけて変えていけばいいのです。
外部に大きな目標がなくなった分、自分を見つめる時間はたくさん取れるでしょう。
「私を生きる」とは、自分の現状を素直に受け入れて歩み続けることではないでしょうか。
プライドが高くて謙遜気味でも、それが今の自分です。
来年の春がきたら、一年前の自分と今の自分を見比べてみましょう。
きっと、ほんの少しでも変化が見つかるはずです。