「マトリョーシカ」の歌詞の中でも一番悲痛なラインです。
普段の仮面は笑っている顔。
しかしマトリョーシカの中に隠れている顔には涙がこぼれそう。
ここでマトリョーシカの中に収めている人格は堰を切ったように感情を顕にします。
もう押さえつけていられない気持ちが歌詞に溢れてくるのです。
同じ言葉を3回繰り返す巧妙な作詞が見事。
メロディー・メーカーでもあり詩もこなすのは才人の証です。
「泣く」という言葉を一切使わずに、涙溢れる様子を表現できる才能はずば抜けたものでしょう。
マトリョーシカの中の空間には押し留めていられなかった涙が湧き出ずる仕種。
深い表現方法に舌を巻きます。
涙の堤防が決壊した先にはどんな運命が待っているのでしょう。
クライマックスを見てゆきましょう。
少女の憧憬と幼い恋
「私」のメンタルは病む
キラキラに光る何かを追いかけた
私は本当に愛されたかった
キラキラに光る何かを追いかけて
私はそれでも愛されなくて
本当の自分を隠し続けてる
私はいつでもマトリョーシカ
私はあなたのモノでしょうか?
マトリョーシカ
出典: マトリョーシカ/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
愛されることを求めるばかりの姿勢に無理があったのは先に見てきました。
女心というものの逃れられない構造なのでしょうか。
愛されることばかりを考えて愛する技術を身に付けない愚かさがあります。
光るものを追いかけたがるのは少女の頃の憧憬でしょう。
そのことが悪いわけではないのですがいつまで少女の時代を生きるつもりかが問われます。
大人の女性ならば愛する技術を武器にして恋愛を攻め抜いて欲しいものです。
まだまだ幼い恋の在り方であり破綻はいずれ訪れるものだったと思います。
相手が愛されることばかりを考えていたら、さてどんな対応の選択肢が残されているのでしょう。
愛されるのを待つ女性は魅力に欠けてしまうというのが男性の正直な心境ではないでしょうか。
いつまでもマトリョーシカの中に自分を隠さないでいて。
本当の、あるいは2つめの顔を見せてあげて欲しい。
恋愛がうまく行こうとも失敗しようとも本当の自分を曝け出さないでいることはやはり不健全です。
実際に「私」のメンタルは病む寸前でしょう。
あいみょんの「マトリョーシカ」は斯様に怖い歌なのです。
重い歌だった「マトリョーシカ」
「私」が崩壊する姿に涙
愛されることばかりで待ちの体勢の「私」は自分を失って崩壊してゆきます。
マトリョーシカの中の本当の自分が涙を流していることに気付いてしまいました。
あいみょんの「マトリョーシカ」はこうした破滅を歌った楽曲なのです。
マトリョーシカの中に隠れているのは恋愛の場面だけでしょうか。
日々の暮らしの中でも自分をマトリョーシカの中に隠す人はたくさんいるように思います。
その隠したマトリョーシカの涙に気付いてあげてください。
自分が、「私」が泣いている。
そのことを一番に気にかけてケアしてあげられるのは自分です。
そしてできるならばマトリョーシカの物質性の檻、つまり「モノ」であることから抜け出てください。
「私」は生身の人間なのですから。
あいみょんがこの曲で問いかけたものは本当に重い事柄ばかりです。
しかしマトリョーシカという民芸品そのものの可愛さで楽曲に漂う重さを軽減させています。
あいみょんの確信的・革新的な歌詞のマジックです。
マトリョーシカの中で泣いている自分を解放してあげて欲しいのですがマトリョーシカはまだ「モノ」そのもの。
いずれ時を経て少女から大人の女性に変貌する中で2つめに隠していた「私」が外に出てくるはずです。
しかしそれは「マトリョーシカ」という楽曲の中では果たせません。
結構、絶望をも感じさせる、やはり怖い歌なのだなと思う次第です。
それでも共感を呼びやすい素敵な曲であることに変わりはありません。
カラオケなどで歌ってあげることで悲運の恋愛に花を手向けてあげてください。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
OTOKAKEで振り返るあいみょん
彼氏ができない理由とは?
OTOKAKEにはあいみょんの関連記事がたくさんあります。
中でも「憎まれっ子世に憚る」から1曲ご紹介。
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あいみょん【私に彼氏ができない理由】歌詞を徹底考察!自信が持てないのはなぜ?様々な理由を並べるけど… - 音楽メディアOTOKAKE(オトカケ)
時代のポップ・アイコンになったあいみょん。彼女が2015年に発表した「私に彼氏ができない理由」が共感を呼んでいます。自分の欠点を見つめて「私に彼氏ができない理由」をあげてゆく歌詞が可愛いです。歌詞を紐解いて解説します。
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