サカナクション「フクロウ」
電子音とバンドサウンドが融合した楽曲が多いイメージのあるサカナクション。
しかしそんな彼らの楽曲の中では珍しく、「フクロウ」はオーソドックスなバンドサウンドとなっています。
今回ご紹介する「フクロウ」では、特に全編を通して鳴り続けるアコースティックギターの響きが特徴的です。
切なさを感じるそのコード感と、憂いを帯びたような山口一郎のボーカル。
そして、サビでは何かから解放されるような感覚があります。
それを理解する鍵となるのが、歌詞に用いられている言葉たち。
今回の記事では、「フクロウ」の歌詞の意味を考察していきます。
心の中にあるもの
絶えず動く心
心の先々で何を見つけられるのだろう
出典: フクロウ/作詞:山口一郎 作曲:山口一郎
毎日いろいろな人や物と触れ合う中で、私たちの心は絶えず動いています。
日々の積み重ねによって、日々私たちは性格や行動を変えながらもそのことには無自覚に生きている。
毎日の出来事が私たちにもたらす影響は様々ですが、それは私たち自身に対して確実に変化をもたらしています。
明日どのような人や出来事が待っているかは分かりません。
この冒頭の歌詞では、そんな心が動く出来事に出会った後に、自分がどんな気持ちになるのかを考えています。
心が動いた方へ道を進んでいって、その結果何かに出会えるかもしれない。
しかし、それがもたらすのがどんなものなのか、未来のことはまだ知る由もありません。
見つけたものたち
見える物や見えない物 何にも無いと解ってたんだろう
出典: フクロウ/作詞:山口一郎 作曲:山口一郎
次の歌詞ではそうやって心の揺れ動きによって見つけたものたちについて言及しているようです。
自分にもたらされた変化の数々。
しかしここでは、そんなものたちを否定しているかのように感じます。
積み重ねた結果に出会ったものたちには、実は何の意味もなかった。
そして、主人公はその事を前から心の奥底で分かっていたのです。
確かに日々の出来事が自分を変えていることは違いありません。
しかし、それはとてもゆっくりともたらされることです。
彼は自分の中への劇的な変化を外的な要因に求めていたのかもしれません。
しかし、自分自身を大きく変えるのは自分自身でしかないのです。
独りで見た光景
そうひとり そうひとりなの
出典: フクロウ/作詞:山口一郎 作曲:山口一郎
眼に映るいろいろな人や物が自分にもたらす変化は微小なものに過ぎない。
自分の殻を破るには、結局自分自身と対峙して変わっていかなければいけない。
そのことに気づいた主人公は、自問自答しているのかもしれません。
今までどこかで社会の中の一員であり、その中で自分という存在が規定されていると思っていた彼。
しかし孤独であるということを受け入れることで、何かを掴もうとしているのでしょうか。
社会から離れた個人として、自分自身を認めることで得られるものがあるのかもしれません。
社会の枠組みの中で
失敗と学習
汚れた顔を振り上げては ちゃんとした事を言うようになる
出典: フクロウ/作詞:山口一郎 作曲:山口一郎
社会での失敗から学んだ様々なこと。
どこかで自分自身の存在がすり減っていくのを感じているのでしょう。
今までは反骨精神があった人々も、社会へ順応するために当たり障りのないことを言うようになります。
それが正しいことなのかは分かりませんが、自分自身を守るためには必要なことです。
ここでは、主人公の社会へ迎合することへの嫌悪感のようなものが感じられます。
順応することで、社会から抑圧されているような気持ちがあるのでしょう。