死んだ後に何も残らないなら、人は何故生きるの?
たとえば明日がこないとしたら
僕が生きた過去も今も
ゼロになり
無意味な物になるのかな?
時間の上を立ち止まり 君が問いかける
出典: ゼロの答/作詞:TAKUYA∞ 作曲:彰
人は誰しも死を迎えるのだとしたら、今生きていることにどんな意味があるのか。
自分が死ぬ瞬間を想像したときには、そんな虚しさを感じることもきっとあるでしょう。
自分の生き様が誰かに勇気を与えたり、自分が愛したことで誰かを幸せに出来たりはします。
しかしそれは自分ではなくて残された誰かです。
自分が死んでしまえば、その誰かが幸せだということも感じられなくなってしまうかもしれません。
だったら人は一体なんのために生きると言うのでしょうか。
終わりがあるから懸命に生きられる
雪が溶けて消えるように
僕の命も終わりがあって
だからこそ 輝ける
僕らの 見えない未来
強く生きて 最後は笑っていたいから
出典: ゼロの答/作詞:TAKUYA∞ 作曲:彰
それに対してTAKUYA∞は死んでしまえば全部なくなってしまうことも否定しません。
彼の言い分は「いつかなくなってしまうから、今を懸命に生きられるんだろ」というもの。
いつまでもダラダラと生きられるのならば、きっと人は「頑張るのはいつからでもいいや」と堕落してしまいます。
死んでしまえば全てなくなってしまうとしても、生きている今感じていることが今の自分にとっては全てです。
死んだ後のことに限らず、人は「今」しか感じることが出来ないのですから。
ここで歌われているように死に際に良い顔をしていられたら、人としては大往生なのでしょうね。
かけがえのない人の存在が人生に与えるもの
うわべの関係は大切な人になり得るのか?
うわべの友情や愛情なら
僕はもういらない
人は死ぬ前に何かを
思い出すというのなら
僕は人を愛したことを思い出すだろう
出典: ゼロの答/作詞:TAKUYA∞ 作曲:彰
この部分はTAKUYA∞がいかに人との繋がりを大切にしているかが伝わってくる内容になっていますね。
世間では建前というのも重要視されていて、相手が大して好きでもないのに仲良くしていたりというのも目立ちます。
当たり障りなく世渡りしていくためには、確かにそういったことも必要かもしれません。
しかしそこからかけがえのない絆というのは生まれるのでしょうか。
そういう関係の人たちが、死ぬ間際に「あの人に会いたいな」と思える相手になるとは思えません。
死ぬ間際にかけがえがないと思える存在が居ることが、きっと良い人生だったという証になるのでしょうね。
雪が溶けて消えるように
僕の命も終わりがあって
だからこそ 歌える
僕らの 見えない未来
光放ち始める
just be dreaming, shining
出典: ゼロの答/作詞:TAKUYA∞ 作曲:彰
いつかなくなってしまうから、懸命に生きられると歌っていたのが1番の歌詞。
そしてここではTAKUYA∞にとって「生きること」はすなわち「歌うこと」なのだなと感じさせられる内容が歌われています。
彼にとっての懸命に生きることは良い音楽を世に届け続けること。
それは当然誰にでもできることではありません。
いつかなくなってしまうならばと、彼は自分だからこそできることを選んで生きているのですね。
死を迎えるという事実が教えてくれたことは
自分の思うように生きていいということ
青空が最後につけた言葉の色
僕に答えをくれた
a life is mine (この人生は僕のもの)
考えすぎ ためらいの後悔
何もしないよりは
充実の後悔を
出典: ゼロの答/作詞:TAKUYA∞ 作曲:彰
「青空が最後につけた言葉の色」という言葉が意味深ですね。
これはきっと、死んだ人が天に昇っていくことを例えたもの。
いずれは天に昇って、なにもないことを表す「ゼロ」という言葉を与えられるという意味ではないでしょうか。
そのことが人生は自分のものであると教えてくれたとTAKUYA∞は歌います。
これはきっと「いつかなくなってしまうのだから、自分の思うように生きるべき」だということでしょうね。
その後に続くのはまさに「やらないで後悔するより、やって後悔しよう」という意味の歌詞。
何もしなくても人生は終わりを迎えるのですから、たくさんの経験をした方が得ですね。