さて楽曲はもちろんのこと、気になってくるのはMVの意味深な内容です。
3人の演奏する姿と交錯するようにして映されていたのは、どこか儚げな表情をした女性。
おぼろげに霞むような映像が、それが過去のことであるかのように演出していました。
砕け散った薔薇が元に戻っていく描写は…
印象的なのは彼女が凍った薔薇を握りつぶすシーン、そして砕け散った薔薇が逆再生で元に戻っていく様子。
それはまるで悲劇に終わってしまった恋と、そうなる前の幸せな記憶が蘇ってくる様を表しているかのよう。
あるいは薔薇が元に戻っていく描写は、主人公のあの頃に戻りたいという願望を表しているのでしょうか?
映像からもいろいろと妄想が膨らみますが、その真意に迫るために歌詞の内容をちょっぴり垣間見ていきましょう!
過去の恋人との思い出を振り返る
運命に触れ合ってた頃を再生しよう
ボタンが壊れて押せなくなるまで
気持ちの整理がつかなくなるまで
嘘な予感怖いけれど
忘れかけている話の続きは
依存性のある幸せみたいだ
出典: libido/作詞:アマダシンスケ 作曲:アマダシンスケ
この部分からは、過去の恋愛を振り返っているような印象を受けます。
主人公はきっと彼女との関係が終わってしまったことから立ち直れず、彼女に会えない今、思い出に依存することでその寂しさを紛らわせているのです。
「嘘な予感怖いけれど」という表現は、自分が今浸っている妄想が現実ではないことが過る瞬間が怖いということでしょう。
思い出に依存する主人公はそれをもはや現実だとさえ思いたいのです。
この部分から察するに、MVの女性も主人公の過去の恋人を表していたことが伝わってきますね。
思い出すことはできても、触れることはできない
自分の生きたい場所にずっとあなたがいない
ぎゅっと掴み合っていた時間はあなたにしか分からないんでしょう
出典: libido/作詞:アマダシンスケ 作曲:アマダシンスケ
いくら思い出を現実だと思い込もうとしても、実際には主人公の目の前に彼女は居ません。
そう、思い出すことは出来ても、思い出には触れることはできないのです。
2人が触れ合っていた頃の感触を主人公はもう感じることができません。
それを感じられるのは思い出の中の彼女だけだということが、この部分から伝わってきます。
薔薇は去年の冬の記憶を表していた?
去年の冬の記憶のかけらが突き刺さる
笑って ねぇ、笑ってって 声と顔が浮かぶよ
寄り添い合って夢を見たい 私と僕の本能です
出典: libido/作詞:アマダシンスケ 作曲:アマダシンスケ
MVの中で砕け散っていた薔薇の欠片は、この部分の記憶の欠片を表しているかのようですね。
冬の記憶を表したそれは冷たく凍っていて、終わってしまったそれはあっけなく砕け散ってしまいました。
そして凍った状態から砕けた薔薇の欠片は鋭利に尖っていて、突き刺さるという言葉がよく似合います。
これもまるで終わってしまった恋が主人公を傷つける様子を表しているかのよう。
しかし続く部分はそれとは裏腹に幸せそうな2人が描写されています。
「私と僕の本能」と歌われていますが、現実にはもう2人は愛し合ってはいません。
これはきっと、「せめて思い出の中だけでも」という主人公の願望が表れたもの。
思い出の中の彼女は、変わらず主人公を愛してくれているのでしょうね。
去年の冬の記憶のかけらが突き刺さる
すれ違う中で綺麗な君が生きていた
このまま死んでもいいくらい美しかった人生だ
美しかった人生だ
出典: libido/作詞:アマダシンスケ 作曲:アマダシンスケ
思い出の中なら彼女はずっとあの頃のまま。
いつまでもそうやって鮮明に思い出せるということに、主人公の想いがよほど強いのだなと感じさせられます。
「このまま死んでもいい」と言っているように、彼女との日々より幸せな時間はもう訪れないと主人公は思っているのでしょう。
その想いから、薔薇が元に戻っていったように、主人公も何度も記憶をあの頃に戻そうとしているのですね。
「libido」というタイトル
今回はFOMAREの「libido」を紹介しました。
MVで女性が持っていた赤い薔薇が表していたのは、主人公と彼女が過ごしていた頃の記憶。
薔薇を凍らせていること、それが砕け散ってしまうことにも意味が込められていて、味わい深い作品となっていました!
最後になりますが「libido」という言葉が表すのは「性的衝動」です。
一見「楽曲の内容と合っているのか?」という印象も受けますが、これはきっと主人公が彼女に対して、今まで感じたこともないような衝動を感じていたということでしょう。
だからこそ忘れられないし、あれ以上のことはないと思ってしまうのです。
いつも感情を揺さぶるような楽曲で感動させてくれるFOMARE。
今回も予想以上の感動を味わわせてくれましたね。