通信環境やハード面が向上して、ますます便利になっていく社会。
「終末のコンフィデンスソング」では、その便利さを間違って使っていることに警告をしています。
桜井さんは便利さを有意義に使うことを、私たちに訴えているのでしょう。
これが便利?
すごく欲しかった物から そうでもないモンまで
クリック ドラッグ R & R 何だって手に入る
さぁ 油断して渡ろう 慢心して進もう
文明の恩恵の上を
出典: 終末のコンフィデンスソング/作詞:Kazutoshi Sakurai 作曲:Kazutoshi Sakurai
情報過多になると意味のないものまで手に入れようとします。
インターネットで検索してクリックすれば、大抵のものが手に入ってしまうのです。
しかしその分、以前よりもものに対するありがたみが少なくなっている気がします。
このことは音楽に関してもあてはまるのです。
昔は小遣いを貯めて、大好きなアーティストのアルバムを1枚買うのに喜んでいました。
今はストリーミング配信が主流で、昔の光景はみる影もないです。
なんだか便利と引き換えに、買う喜びがなくなってしまったと感じてしまいます。
正夢?
たまに不吉な夢見るんだよ
走っているのに進まない
ひょっとしたら実際に起きてることを夢の中で知らせるメタファーかも
Oh No!
想像してたよりも速いスピード
この迫り来る敵に立ち向かう
準備はできたかい?
ドンキホーテみたいに さぁ
出典: 終末のコンフィデンスソング/作詞:Kazutoshi Sakurai 作曲:Kazutoshi Sakurai
このパートの歌詞では、「メタファー」が気になると思います。
「メタファー」も抽象的な表現で、“1つの出来事”という意味で捉えてください。
便利になった世の中が、実は失っているものも多くあり前に進めていない。
こんなことを「終末のコンフィデンスソング」で表現されています。
こういう考え方も間違いではなく、常に課題として私たちが考えなければならないと思います。
時代に警鐘を鳴らす
何が正解で、何が間違いなのかが、わかりにくくなっている現代。
私たちは、情報を見極める目を養わなければなりません。
しかし、あらゆる情報が錯綜しているので、見極める目を養うのはとても難しいことでしょう。
最終的には、私たち自身の良心で判断するしか方法がないと思います。
たまには振り返ってみようよ
フワフワした気分で地に足が着かない
いつまでしがみついていれるかな? この地球の上
Nowhere!?
イライラした空気が君の履くヒールの踵を蹴りつける
引き返すことで その先にある危険から逃れる手段もあるだろうが
Oh No!
焔
蒼白き瞳の焔で
その危なっかしい足元を照らし出せ
道は続いてる
そう続いてくんだ
出典: 終末のコンフィデンスソング/作詞:Kazutoshi Sakurai 作曲:Kazutoshi Sakurai
常に前を向くことを求められる私たちにとって、振り返ることは悪のように感じます。
しかし、無理して前に進むことで起こりえる失敗があることを考えれば、そんなに悪いことでもない気がします。
「無理しているなら少し落ち着こうよ。」
こんなことを桜井さんは、訴えているのでしょう。
自信を持って
批判家の指摘も間違っちゃいないけど
今僕らの目の前で起こってることを
楽観も悲観もなく
ちゃんと捕まえたら
足元に落とした視線を
上にあげ
胸を張れ!
出典: 終末のコンフィデンスソング/作詞:Kazutoshi Sakurai 作曲:Kazutoshi Sakurai
ものごとの最終的な判断は、私たち自身で行わなければなりません。
しかし、私たちが一度正しいと思ったことは、自信を持って堂々としていようといっています。
ただ漠然と選んだわけではなく、私たちが悩んで導き出した結果です。
そこまで悩んだのであれば、他から何をいわれようとも関係ありません。
悩み抜いた結果に対して、他人がどうこういう筋合いがないからです。
最終的には、みんな自信を持って前に進もう!
こんな解釈が正しいと感じます。
終わりに
いかがでしたか?
「終末のコンフィデンスソング」は、なかなかトゲのある歌詞でかなり強烈でしたね。
だけど、2008年に間違いなく桜井さんは、この歌詞のように考えていたのです。
今は全く違うかもしれません。
でも基本的なことは、今も桜井さんは変わらないのではないかなと感じます。
便利なものを使いこなせれば良いですが、いつの間にかものに使われてしまうことは避けたいです。
私たちが、常に信念を抱いている必要があると考えられます。
現代のような情報社会では、そんなことがとても大切だと認識させられました。