眩暈SIREN「その後」を独自解釈してみる
ここからMVネタバレです
ここからネタバレになってしまうのですが、自然の中にたたずむ少女の、悲しくも美しいMVになっています。
MVを観ただけで眩暈SIRENというバンドの世界観に引き込まれそうになりました。
また、ボーカル・京寺の朗読力が素晴らしいです。
曲に感情を乗せないタイプのボーカルだと聞いていたのですが、見事に感情を乗せています。
むしろ普段は感情を乗せないからこそ、ここぞというときに光るのかもしれません。
中盤からのその激しい勢いには息を飲みました。
少しだけ歌詞解釈
ただ生きてさえいれば
出典: その後/作詞:京寺 作曲:オオサワレイ
更にこのようにも思います。
どんな事を言えば正しかったんだろうか
出典: その後/作詞:京寺 作曲:オオサワレイ
いよいよMV解釈へ
それではいよいよMV解釈に移っていきます。
MVの中で重要だと思った部分をピックアップする方式でいきますので、よろしくお願いします。
三画面に分かれるのはなぜ?
重要だと思った個所その1は、MV中に何回か三画面に分かれる点です。
なぜわざわざ三画面に分かれるのでしょうか?
そんな疑問に、三画面の形状に注目して考えてみました。
三画面のあの形状、何か既視感があると思いませんか?
映像フィルムに似ています。
ここから考えると、三画面に分かれるシーンは以下のように解釈できます。
「自分」が見る世界は、どれだけ美しくてもまるで実感がなく、映画を観ているかのようにしか感じられない。
たとえ現実の世界がいくら光り輝いていたとしてもです。
「自分」は、「自分」が生きるべき現実の世界を、どこか他人事としか思えないのです。
「自分」がそうなってしまった原因は「貴方」が亡くなってしまったことにあります。