些細な日常の風景のどれを取っても
思考が行き着くのは
そこに貴方がいないという答え
記憶の残骸を探さないように
いつの間にか自分は取り繕う事を覚えた
出典: その後/作詞:京寺 作曲:オオサワレイ
上の歌詞から考えると、いなくなったほうの一人は「取り繕えない自分」だったのではないでしょうか?
いなくなったというより、自分の中に隠してしまった、といったほうが正しいかもしれません。
「貴方」との記憶を追ってしまい、その度に「貴方」がいないという現実に落胆するのは辛いです。
かなりの精神的ダメージがかかります。
こんな状況を変えたくて、「取り繕えない自分」を隠したと考えました。
森にいるのはなぜ?
森という場所の持つ意味
1つ目は民俗学的に言って、森という場所があの世を意味する場所である、という観点です。
昔の日本人は、山や森、海などを神や死者の領域と考えていました。
そこに「自分」がいるということは、「自分」が半分「死」に足を突っ込んでいるということだと解釈できます。
恐らく「自分」は身体的に死にそうな状態なのではなく、心情的に生き生きとなれないのでしょう。
先ほどの映像フィルムでの解釈や歌詞中の「無気力」という単語から、苦しい「自分」の様子が垣間見られます。
「自分」が森にいるという描写。
それは無気力で生き生きとなれない「自分」はもはや死んでいるも同然、ということの暗示かもしれません。
登場した森は…
2つ目は、登場した森が富士の樹海で「自分」は自死を選ぼうとしているのではないか、という観点です。
なぜ自死という考えが出てきたのかついては、次で詳しく説明します。
画面が真っ暗になるのはなぜ?
直前の描写
直前の描写とは、森の中で「自分」の足だけが映されて、その足が浮き上がりかける描写です。
一瞬なので分かりにくいかと思いますが、確かに足が浮き上がりかけています。
直前の歌詞
また直前の歌詞とは、下記の2か所のフレーズです。
死にたいと思いながら生きる事と
生きたいと思いながら死ぬ事は
どっちが不幸だ
出典: その後/作詞:京寺 作曲:オオサワレイ
この歌詞中、二行目に該当する人物を考えると「貴方」が思い浮かびます。
それならばその対比として、一行目に該当するのは「自分」なのではないでしょうか?
無気力に失ったその数秒を
数時間、数日、数年を
貴方にあげたいと思った
出典: その後/作詞:京寺 作曲:オオサワレイ
歌詞をまとめると以下のようになります。
「自分」は希死念慮を抱きながら生きていて、そんな生き方ならその時間を「貴方」にあげたい。