小田和正「今日もどこかで」

小田和正【今日もどこかで】歌詞の意味を解釈!僕らはどんな輪を繋げていくの?君を想う人がくれるものとはの画像

その透き通るような歌声によって多くの人を魅了している小田和正

今回ご紹介するのは、そんな彼が26枚目のシングルとして発表した楽曲「今日もどこかで」です。

この楽曲は2008年に発表され、CMに起用されたり、番組のテーマソングに使われたりしました。

フジテレビ系列『めざましテレビ』2008年度テーマソング。明治乳業プロビオヨーグルトLG21CMソング(2009年8月から。小田自身もCMに出演)。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/今日も_どこかで

こうして複数の場所で使われていることからも、楽曲に幅広い人に刺さるメッセージがあることが分かります。

今回の記事ではそんな「今日もどこかで」の楽曲の歌詞を考察していきましょう。

優しさがもたらすもの

日常にある優しさ

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気づかないうちに 助けられてきた
何度も 何度も そして これからも

数え切れない やさしさに 出会ってきた
なつかしい 笑顔が 浮かんでは 消えてゆく

出典: 今日もどこかで/作詞:小田和正 作曲:小田和正

楽曲冒頭の歌詞では、主人公が今まで救われてきたというあることについて描かれています。

今までもこれからも彼を救い続けるという「それ」とは一体何のことを指しているのでしょうか。

自分自身では救われているということに気が付くこともなく、それでもそれによって救われてきた。

これはそれが決して特別なものではないということが表されているのでしょう。

これは恐らく、3行目に書かれている「やさしさ」のことを指していると考えられます。

この優しさというのは特別な種類の優しさを指しているわけではないようです。

今まで何度も出会ったという言葉から、これが日常に隠れているどこにでもあるような類の平凡な優しさのことだと分かります。

4行目の歌詞ではそんな優しさを自分に向けてくれる人々の「笑顔」のことを指しているようです。

優しい言葉と共に、その言葉を自分にかけてくれた人の顔が浮かんでいるのでしょう。

彼の記憶に鮮明に残っているのは、その時にもらった感動が今も彼の心の中で息づいていることの証明ともいえます。

「君」を想う人

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誰かが いつも 君を 見ている
今日も どこかで 君のこと 想ってる

出典: 今日もどこかで/作詞:小田和正 作曲:小田和正

ここで主人公は「君」に対して語りかけています。

ここでいう「君」というのは、恐らくリスナーのことを指しているのでしょう。

だとするならばこれは小田和正からリスナーへのメッセージであるとも考えられます。

この世界では、誰もが誰かにとっての大切な人。

もし孤独を感じたとしても、心配している人が必ず身の回りにいるのだということを彼はいいたいのでしょう。

自分自身では気がつかなくても、いつも誰かが気にかけてくれている。

そこには必ず優しさや思いやりと呼べるような感情が存在しています。

気持ちというのは目に見えなくとも確かに存在しているのです。

「君」を想う人は、困った時には必ずその人の支えになってくれることでしょう。

繋がりと未来

繋がって行く感情の輪

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巡り会って そして 愛し合って
許し合って 僕らは つながってゆくんだ

出典: 今日もどこかで/作詞:小田和正 作曲:小田和正

そして、ここではそうした想いについて具体的な言葉を用いて説明しています。

私たちは他者がいることによって、愛情や他人を許すという感情を経験することができるのです。

そしてそうした感情というのは、他者を媒介して優しさとなり、輪になって繋がっていくのだといいたいのでしょう。

他人から貰った優しさに感動した人は、今度は自分が優しさを与えられる人になっていくに違いありません。

そしてそうした優しさが数珠繋ぎとなって、私たちは知らないうちに他者の存在を優しさという形で感じているのです。

小田和正はそうした優しさの連鎖を私たちに伝えたかったのではないでしょうか。

夜を越えて