踊りたいのに踊れない、つまらない夜を過ごしていた主人公。
そんな日々を送っていたところに、あるチャンスが舞い込みます。
それは踊れるようになるというチャンスなのでしょうか。
タンスでダンスしている今
思ってるだけで行動
きっとNIGHT音楽も踊る
タンスでダンスする現状
これはチャンスなんかって思う
出典: オドループ/作詞:三原康司 作曲:三原康司
いったいどういうことなのか、今は「タンスでダンス」している時だとしています。
これだけで見ると、意味不明ですね…。
タンスは踊る小道具でもなければ、ステージでもありません。
社交界風に腕を回しても、タンスは重いので回ってくれないでしょう。
つまり、クラブやライブハウスがタンスみたいになってしまっているということではないでしょうか。
本当は踊る場所の筈なのに、その機能を果たせないのです。
こんなに悲しいことはありません。
ですからこの部分も、現状を悲しんでいる歌詞だと思われます。
というか、これはおかしい状況です。
踊る場所が踊る場所ではないなんて、矛盾していないでしょうか。
このことには、他の人もおかしいと気が付き始めるでしょう。
それを見た主人公は、「これはチャンス?」と思ったようです。
「踊れる夜」が来る日が近いことを表していますね。
踊る夜を知らない人はいない
カスタネットがほらたんたん
たたたたんたたんたんたたんたん
踊ってない夜を知らない人とか
この世に一人もございません
出典: オドループ/作詞:三原康司 作曲:三原康司
クラブやライブハウスの踊りでカスタネットを使うことは、あまりないのではないでしょうか。
しかし取り入れようと思えば十分可能でしょう。
カスタネットを使う踊りは実際に存在していますし。
それにカスタネットは楽器演奏が苦手な人でも、子供でも気軽に使える楽器の一つといえます。
3、4行目の歌詞から考えるに、カスタネットだってリズムよく鳴らせば皆踊りだす。
「踊りの楽しさを知らない人はいないんだよ」ということを表現したいのでしょう。
クラブやライブハウスに行かない人だって、好きなように踊る楽しさは分かるのではないでしょうか。
主人公は「そんな世間共通の人々の楽しみを奪うなんて!」と憤慨しているのかもしれません。
踊りは人生を彩るもの
夜は踊りたい主人公にとって、踊りは人生でなくてはならないものです。
今は踊れなくても、踊れる日が来ることを望んでいます。
ですが本当に大切なのは、踊ることではありません。
主人公にとっての踊る以上に大切なものとは何でしょうか。
変わってゆく時代の中で
いつも待ってる ダンスホールは待ってる
変わってく 変わってく 傷だらけでも待ってる
ほら踊ってる ダンスホールの未来に
色を塗って生きるのは あなた あなた
「ダンスは笑顔で待ってる」
出典: オドループ/作詞:三原康司 作曲:三原康司
時代が移り変わりながら、ダンスホールが自分の上で踊ってくれるお客さんを待っている場面です。
法律が理由で踊ってもらえず、傷つく時もあるでしょう。
それどころか物置にされたり、タンスを置かれたりされることもあるのかもしれません。
それでもダンスホールは踊ってもらう場所です。
ずっとずっと踊ってくれる人を待っています。
何故待てるのか。
それは踊れない今でも、来てくれるお客さんがいるからです。
お客さんがいるからダンスホールは経営できます。
未来に色鮮やかな色を塗ることで、ダンスホールのこれからが明るく見えてくるのです。
大切なのは「踊りたい」と思う夜
踊ってたい夜を知りたい
踊ってたい夜を気に入りたい
踊ってたい夜を知りたい
踊ってない夜が気に入らないよ
気に入らない夜なんてもう僕は知らない
踊ってたい夜に泣いてるなんて
とってもとっても退屈です
踊ってたい夜が大切なんです
とってもとってもとっても大切です
出典: オドループ/作詞:三原康司 作曲:三原康司
「踊りたいな」と思ってダンスホールがある場所に向かうのは、当然に見えて幸せなことでしょう。
だって、歌詞の世界では踊れないのですから。
しかし、だからこそ「こんな夜は踊っていたい、クラブで踊ろうか!」と思い立つ夜が恋しいのです。
主人公が真に望むのは「踊ること」ではありません。
踊れる上で「踊りたい」と思う夜が来ることです。
「踊りたい」と思っても法律で踊れないのはつまらない。
「踊りたいから踊りに行こう」とそこへ向かえる夜が、主人公が大切にしているものなのでしょう。
「やりたいからやる」が叶えられる世界って、実はとってもとっても貴重なのではないでしょうか。