『僕が死のうと思ったのは』について
まず、amazarashiの『僕が死のうと思ったのは』が収録されている作品など、概要について紹介します。
アルバム『虚無病』収録
『僕が死のうと思ったのは』は、amazarashiの2016年10月に発売されたミニアルバム『虚無病』に収録されています。
タイトルとなっている『虚無病』は、秋田ひろむが考える架空の病の名前です。
秋田ひろむは虚無とは煤のようなもので一瞬でまみれてしまうけれど、それを取り除くのは大変なものであると語っています。
それにより真っ黒になっても、自分らしく生きられるかということを問いかけるメッセージ性の強い作品です。
収録されている楽曲は5曲ですが、とても聴きごたえがあります。
また、秋田ひろむがこの作品のために書き下ろした小説とライブDVD、そしてダウンロード音源がつくという豪華な仕様の初回限定盤も話題を集めました。
絶望と希望が描かれたバラード
『僕が死のうと思ったのは』はamazarashiらしい絶望と希望が描かれたロックバラードです。
インパクトのあるタイトルだけ見ると、ネガティブな印象があると思います。
amazarashiの曲は心の奥底をとらえるような鋭い歌詞が特徴です。悲しみや苦しみを隠さず、怒りもむき出しにします。
しかし、どの曲も微かな希望が感じられるのです。
『僕が死のうと思ったのは』は、淡々と死のうと思った理由が語られます。
そして、amazarashiとしては珍しく最後に明確に希望が示されるのです。
タイトルとは裏腹に、最後まで聴くと生きることに前向きになれる曲だと思います。
歌詞の意味を解釈
絶望と希望が描かれた『僕が死のうと思ったのは』の気になる歌詞の意味を解釈したいと思います。
昨日と変わらない自分
僕が死のうと思ったのは ウミネコが桟橋で鳴いたから
波の随意に浮かんで消える 過去も啄んで飛んでいけ
出典: 僕が死のうと思ったのは/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
「僕」は海を眺めながら、考え事をしていたのかもしれません。死のうと思ったのですから、前向きなことではないでしょう。
そこでウミネコの鳴き声を聞きます。ウミネコは魚を取ろうとしていたのではないでしょうか。
そのように生きる力を感じさせるウミネコの鳴き声とは対照的に、海を見て過去のことを思い出していた自分を情けなく感じたのだと思います。
そのため、思い出したくない「過去も啄んで」飛んでいってほしいと考えているのです。
今日はまるで昨日みたいだ 明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる 分かってる けれど
出典: 僕が死のうと思ったのは/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
「今日」が昨日と同じように感じるのはなぜでしょう。それは自分が昨日と変わらないからだと思います。
もしも「明日」をその続きにしたくないのなら、まずは「今日」の自分を変えなくてはいけません。
「明日こそはがんばる」と考えていても、その次の日も寝る前に同じようなことを考えるという経験は誰でも一度はあるのではないでしょうか。
わかっているけれど、それを実現することはとても難しいですよね。
本当は満たされたい
僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから
満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから
出典: 僕が死のうと思ったのは/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
「心が空っぽ」というのは、何も感じられないような状態です。そのような状態になるまでには、悲しいことや苦しいことがあったのでしょう。
そして、心が空っぽで「満たされない」ことがつらくて泣くのは、本当は心が満たされたいという気持ちがあるからです。
それは誰かにやさしくされたり、愛されたりしたいという想いがあるということだと思います。
僕が死のうと思ったのは 少年が僕を見つめていたから
ベッドの上で土下座してるよ あの日の僕にごめんさいと
出典: 僕が死のうと思ったのは/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ