現役大学生アーティストが紡ぐ話題曲
SpotifyのテレビCMに楽曲が起用されたことをきっかけに一躍有名になったシンガーソングライター・Vaundy。
美術大学に通う彼の高すぎる音楽スキルが巷で話題を呼んでいます。
Vaundy最大の特徴は、どこか懐かしくも新しいエモーショナルなメロディーと歌詞。
その魅力は2021年2月24日に発表された「融解sink」にも表れていました。
この曲でVaundyは一体何を表現しているのでしょうか。
歌詞の中で繰り返される、楽曲を理解するうえでカギとなっている水に関連したワードの意味とは?
早速、歌詞を深く読み解いていきましょう。
現代を生きる人々が共感するAメロ
地に足を付けずに生きる僕
ふらっとさ 何か
通り過ぎたような
ぶらっとさ 僕が
外を見た時
出典: 融解sink/作詞:Vaundy 作曲:Vaundy
本来であれば人生の歩み方に正解も不正解もありません。
しかしながら、現代社会においては理想とされる人生像が存在します。
たとえば「学校卒業後は安定した企業に正社員として就職し、恋人と数年付き合ったら結婚して家庭を持つ」。
そんな生き方をしてこそ立派な大人と称される今の日本。
それがこの曲の舞台です。
歌詞の3行目に登場する「僕」は、世界に蔓延する人生の理想像に反した生き方をしています。
何を学ぶでもなく、会社に属するわけでもなく、ゆく当てもなくふらふらと彷徨うように生きる僕。
なんとなく外を歩いていた時、ふと街中の人々に目を向けます。
見ず知らずの他者の不幸は、蜜の味がする
他人の不幸や 不安に
立ち止まって
幸福と 安堵を
吸い取って生きてる
出典: 融解sink/作詞:Vaundy 作曲:Vaundy
僕の目に映る街中の人たちは決して幸せそうではありません。
つまらなさそうにスマホをスクロールする高校生。
電話越しに平謝りをするサラリーマン。
地面を睨みつけながら歩く男性もいれば、道端でしゃがみ込み泣きじゃくる女性もいる。
そんな自分の人生に1ミリも関係のない赤の他人の不幸せな様子は、なぜか僕に幸せを感じさせます。
昔からよくいわれる「他人の不幸は蜜の味」を表しているのでしょう。
私たち人間は、他者の失敗や不幸にわざわざ目を止めます。
「自分は大丈夫、この人に比べれば幸せだ」と安心感を覚えないと生きていけないのかもしれません。
男女の儚い声に魅了されるBメロ
淀みのない歌声が示すもの
ほらほら透明だ
ほらほら鮮明だ
ほらほら深海に 溶けてくsink
出典: 融解sink/作詞:Vaundy 作曲:Vaundy
融解sinkのMVをご覧になった方は、水を使ったシーンの多さに気付いたのではないでしょうか。
それはVaundyが、私たちが生きるこの世界は水のようであると表現しているためです。
透き通っていて、空や地面とははっきりと区別され、どこまでも深い水。
綺麗ごとだけでは語れず、濁りきって混沌としている現代社会とは一見相反するようです。
しかし世界というのは、実はとても単純なもの。
水のように深いけれども、飛び込んでみると鮮やかなほど透き通っているものと表現されています。
どこまでも深く透き通るこの世界に堕ちていく
Bメロの最後に登場する英単語は曲名にも使用されています。
一般的には、液体の中に「沈む」という使い方がされます。
しかし今回の曲中では「ぐったりと力尽きる」「気持ちが滅入る」「失墜する」の意味で訳されるのでしょう。
水のような私たちの世界に溶け込むように沈んでいくという意味になります。
さらに、行く末の分からない未来に対する悲しみに堕ちていく様子も表わされています。