懐かしの名曲「チャコの海岸物語」とは?

「チャコの海岸物語/サザンオールスターズ」の歌詞に出てくる『チャコ』って誰?!歌詞に込められた想い♪の画像

1982年にリリースされたサザンオールスターズ14枚目のシングル「チャコの海岸物語」は売り上げ58.4万枚(オリコン調べ)の大ヒットとなりました。

サザンオールスターズは同年、全日本優先放送大賞最多リクエスト歌手賞を受賞、同曲で最多リクエスト曲賞も受賞しました。 

リリースされてから36年経った今もサザンオールスターズの代表曲として人気です。

桑田佳祐、紅白で仕出かす!

「チャコの海岸物語/サザンオールスターズ」の歌詞に出てくる『チャコ』って誰?!歌詞に込められた想い♪の画像

「チャコの海岸物語」で「第33回NHK紅白歌合戦」に出場したサザンオールスターズ。

桑田佳祐が当時、国民的歌手として大スターだった三波春夫1923-2001)のモノマネで出場しました。

顔を白塗りにし和装で登場したため「ふざけすぎ!」と多くの視聴者からクレームが入り、サザンはNHKに詫び状を書かされたらしい、という逸話が残されています。

そんな曰く付きの「チャコの海岸物語」ですが、リリースから35年経った今もなお、サザンの代表曲として多くのファンを魅了している楽曲です。

タイトルの「チャコ」って誰のこと?

「チャコの海岸物語/サザンオールスターズ」の歌詞に出てくる『チャコ』って誰?!歌詞に込められた想い♪の画像

心から好きだよチャコ 抱きしめたい
だけどもお前はつれなくて

出典: チャコの海岸物語ー/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐

歌詞からすると「チャコ」はまるで女の子のことのようです。「心から好きだよ 抱きしめたい」なんて。でも本当は女の子のことではありません。

「チャコ」とは、1960年代に大ヒットした「悲しき街角」(1961)、「ルイジアナ・ママ」(1962)などを歌った歌手・飯田久彦(1941-)のことです。

歌手時代、飯田久彦の愛称が「チャコ」でした。

歌手引退後、名プロデューサーに

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歌手として徐々に人気に翳りが見えた飯田久彦は1972年、歌手を辞めてビクター音楽産業(のちのビクターエンターテイメント)に入社。

敏腕ディレクターとしてピンク・レディー小泉今日子らを発掘しました。

1993年3月にはビクターエンターテイメントの取締役に就任。同年6月には同社代表取締役社長に就任、2005年には同社代表取締役会長に就任しました。

ちなみにサザンオールスターズが「チャコの海岸物語」をリリースした時、飯田久彦はサザンが所属するビクターで課長だったそうです。 

桑田佳祐が大の飯田久彦ファンだったことから、リスペクトの意を込めて「チャコの海岸物語」をつくったと言われています。

歌詞に出てくる「ミーコ」とは誰のこと?

「チャコの海岸物語/サザンオールスターズ」の歌詞に出てくる『チャコ』って誰?!歌詞に込められた想い♪の画像

心から好きだよミーコ 抱きしめたい
甘くてすっぱいひとだから
(愛してるよ)お前だけを

出典: チャコの海岸物語ー/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐

さっきは「チャコ」が大好きと言っていたのに、今度は「ミーコ」が好きだと言っています。

ここに登場する「ミーコ」とは、1960年代にポップスの女王と称された、弘田三枝子(1947-)のことです。

日本女性歌手史上最高の歌唱力と評されたミーコ

1947年生まれの弘田三枝子は、子どものころから進駐軍のキャンプで歌を歌っていました。

1961年、14歳の時「子供ぢゃないの」でデビュー。1965年には日本人歌手として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場しました。

弘田三枝子は現在も精力的に歌手活動を行っています。

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