あいみょんの「生きていたんだよな」とは?

あいみょん「生きていたんだよな」の歌詞の意味がドラマ主題歌としては衝撃的すぎ!?MVありの画像

「生きていたんだよな」は、2016年11月30日に発売されたあいみょんのメジャーデビューシングルです。

ファーストフルアルバム「青春のエキサイトメント」にも収録された楽曲で、ドラマ「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」オープニングテーマ曲として起用されたことでも話題になりました。

ドラマと「生きていたんだよな」という楽曲の関係性

あいみょん「生きていたんだよな」の歌詞の意味がドラマ主題歌としては衝撃的すぎ!?MVありの画像

ドラマ「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」は、人生に悩みをかかえた人たちが、大島美幸(森三中)と安藤なつ(メイプル超合金)演じる不動産屋の重田姉妹によって、知らなかった街と出会い、人生の新たな一歩を踏み出すというのが大きなテーマで、「新しい何かが始まる時」に背中を押してくれる曲として「生きていたんだよな」はぴったりというようなことを以前ドラマのプロデューサーさんがコメントを寄せていました。

ドラマはどっちかというといい意味でゆるく展開していく物語であり、歌詞の意味を考えると、ドラマと合わないからサビしか使われなかったのではという意見もあるようですが、そういったことも含めて、MV歌詞の意味を解釈していきましょう。

あいみょん本人による自撮りMVでも話題に!

あいみょんが自撮りをしながら進んでいくMVは、あいみょんを見ている誰かの目線になっているようにもあいみょんの目線になっているようにも感じる独特な浮遊感を感じる映像です。

このことから、あいみょんくらいの目線を少し浮かび上がっている状態で彷徨う人物に感情移入させられているとも考えられないでしょうか。

そして、最後にはあいみょんから離れ空中へと浮かび上がる視線。

歌詞を少し知っている人なら想像がついたでしょうか。

つまり、「生きていたんだよな」の歌詞の中で語られる、飛び降り自殺をしたセーラー服の少女に感情移入させられ、あいみょんから語りかけられる形になっているのではないかということです。

だとしたら、あいみょんと同じくらいの背格好から少し浮いたような視線で、触れられる距離なのに触れられないような彷徨っている感覚に陥る浮遊感があり、最終的に空に昇っていくという展開にも納得できませんか?

結論を言うと、この楽曲はドラマのゆったりとしたストーリーとは違い、少女自殺から、その想いを汲み取ろうとしている様子や、社会の反応に対する嫌悪感など、考えずにはいられない一曲であり、MVは目線から感情移入、そして、見るものを共感まで持っていくことが目的ではないかと筆者は考えています。

あいみょん本人もこの曲を実際にあった飛び降り自殺のニュースが頭から離れず考え続けた結果、歌になったというようなことを以前インタビューで答えていました。

MVを見て曲を一回聞いただけでは自殺した人に共感と言えるまでの感情は抱けなかったという方も多いと思うので、ここからは歌詞を見ていきましょう。

あいみょん「生きていたんだよな」の歌詞を解釈!

MVの解説でも使った言葉ですが、共感をキーワードとして心に留めておきこの曲は解釈して良いのではないかと考えており、この意味は歌詞解釈が終わった後にまとめたいと思います。

ただ、一つ断言できるのは、この曲自体、こんな社会でいいのか?私たち人間はこれでいいのか?という問題提起という色合いが強いと思うので、何を感じるかは人それぞれだと思いますが、自殺を勧めている曲ではないということです。

では、あいみょんが一人の女の子の自殺について考え抜いた軌跡がわかる、「生きていたんだよな」の歌詞の意味を詳しく見ていきましょう。

近所で同じくらいの年齢の女の子が飛び降り自殺をしたニュースに

二日前このへんで
飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた

血まみれセーラー 濡れ衣センコー
たちまちここらはネットの餌食

「危ないですから離れてください」
そのセリフが集合の合図なのにな

馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった
冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない
赤さが綺麗で綺麗で

出典: https://www.youtube.com/watch?v=EEMwA8KZAqg

「二日前このへんで 飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた」という歌詞は、自殺があったのが二日前で、今ニュースを見ているという捉え方をした人もいるかもしれませんが、この曲が生まれたきっかけについて、ニュースが頭から2、3日離れず、そのことばかりを考えていたということをあいみょんが語っていたことを考えると、二日前に自殺のニュースを見て以来頭から離れないということを言っているのでしょう。

「血まみれセーラー 濡れ衣センコー」と人目をひくようなフレーズで世間を煽るメディアによって、 「たちまちここらはネットの餌食」と周囲の環境にまで野次馬が殺到している様子が伺えます。

「このへんで」、「血まみれセーラー」という歌詞からわかることは、近所であった事件であり、当時21歳だったあいみょんにとって年齢もそう離れていない女の子が「飛び降り自殺」をしたということで、より人ごとには思えなかったのでしょう。

「「危ないですから離れてください」 そのセリフが集合の合図なのにな」という歌詞は危ないから離れるようにと注意され、見てはいけないと言われるほど見たくなるという人々の感情が描かれています。

一人の女の子が亡くなってしまったという事実よりも、「冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない 赤さ」のような鮮烈さばかりが人々を興奮に陥れ、「馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった」と気が狂れたようにその広がった血の写真を撮る人々がいたことを描写しています。

日本では古来血は穢れとして扱われ続けてきましたが、あいみょんはそんな「自殺」した少女の血を「綺麗で」と描写しています。

それは写真を撮る人々に理由を与えたのか、個人の感情なのか...この部分の解釈は後で考えていきます。

このフレーズの部分では、自殺した彼女への世間の反応に対するあいみょんの憤りのようなものを感じますね。

世間で見るようなニュースが自分の身近で起こったことで、より一層心無い野次で騒ぎ立てる人たちの態度に対する不満があらわになったと考えられます。

死んだ動機は実際彼女にしか分かりません。

しかし彼女とは関係ない部外者によって様々な憶測が立てられてしまいます。

そういった人たちはそれが自分の身内に起こったとしても同じような態度を取るのでしょうか?

そのことからこうした人々の行動は果たしてそれは意味のあることなのか…誰かを救うことなのか…。

これは報道や世間に対するあいみょんからのメッセージなのかもしれません。

なぜかただ泣いてしまった自分と、わからない彼女の感情

泣いてしまったんだ
泣いてしまったんだ
何にも知らないブラウン管の外側で

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラは他の誰でもなく
自分に叫んだんだろう

出典: https://www.youtube.com/watch?v=EEMwA8KZAqg

テレビ越しのその事件を知ったあいみょんは、少女がどんな子だったのか、何を思って「自殺」に至ったのかは「何も知らない」のですが、ただ「泣いてしまったんだ」と正直にその時の自分の反応を吐露しています。

そして、少女の最期の瞬間に思いを馳せることで、その瞬間までは生きていた少女の死から生へと観点が移り、その瞬間までは耐えて耐えて、「生きていたんだよな」 と実感したことで、また悲しくなったのでしょう。

誰か頼れるような人がいたなら、もしかしたら少女はその選択には至らなかった可能性もあることから、「最後のサヨナラは他の誰でもなく 自分に叫んだんだろう」と言っているのでしょう。

また、もしかしたら誰かに邪魔され続けた人生だったのかもしれませんが、最期の瞬間は誰にも邪魔されず、自分だけに「サヨナラ」を言ったのだろうということもその意味に含まれているのかもしれません。

この部分の歌詞フレーズもあいみょんの感情が分かりやすく表現されているいます。

自殺に関するニュースは年間を通して目につくことが多いですが、何か他人事のように思ってしまうのが本音です。

身近にそれが起こったことで、その彼女の心境や周りの環境、はたまた今の日本の生活環境を考えるきっかけとなり感情が強くひかれたのでしょう。

「生きて」という言葉が繰り返されていることから、あいみょん自身何度もこの事件に対して自分なりに感情を整理しようとしたことがうかがえます。

しかしそれをいくら考えたところで答えは出ず、感情のように曖昧な表現で表されています。

生きた証は汚れに、そして、立ち入り禁止のテープは事件を「ドラマ」にする材料に