彼女が最後に流した涙
生きた証の赤い血は
何も知らない大人たちに2秒で拭き取られてしまう
立ち入り禁止の黄色いテープ
「ドラマでしかみたことなーい」
そんな言葉が飛び交う中で
いま彼女はいったい何を思っているんだろう
遠くで 遠くで

出典: https://www.youtube.com/watch?v=EEMwA8KZAqg

1番のAメロで、血の「赤さが綺麗で」と言っていたのは血を「彼女が最後に流した涙」であり「生きた証」だと考えていたからだったのですね。

しかし、そんな彼女の最期のメッセージは汚れのように「何も知らない大人たちに2秒で拭き取られてしまう」のでした。

また事件現場の「立ち入り禁止の黄色いテープ」に対して「ドラマでしかみたことなーい」などと事件をまるでフィクションのように扱う人々。

穢れのように扱われ、ドラマのように面白がられて、「いま彼女はいったい何を思っているんだろう」と考えるあいみょん

「自殺」した少女がこの状況を見ていたらどう思うか考えて欲しいということを言っているのですね。

MVの解説の際に、映像を見る者が「自殺」した少女の気持ちを考えるように仕向け、共感させる効果があると書きましたが、この部分もその解釈とつながりますね。

彼女が消えたくなった理由を一日中考え続けて

泣きたくなったんだ
泣きたくなったんだ
長いはずの一日がもう暮れる

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
新しい何かが始まる時
消えたくなっちゃうのかな

出典: https://www.youtube.com/watch?v=EEMwA8KZAqg

「長いはずの一日がもう暮れる」というくらいずっと少女のことを考えていたという歌詞

そして、考え続けるうちに、ふと、「新しい何かが始まる時 消えたくなっちゃうのかな」と少女の感情に思い至ったのでした。

実際に、この事件がどういう事件で、何が「自殺」の原因だったのかはわかりません。

しかし、あいみょんが思ったのはそういうことではなく、人それぞれにとってその重さは違えど、誰にでも「消えたくなっちゃう」ような感情はあるということです。

例えば、「新しい何かが始まる時」。

進学したものの、友達と離れ、学校やクラスに馴染めず一人ぼっちになってしまったり、新しい職場に馴染めなかったり。

些細なことと思う人もいるかもしれませんが、「新しい」ということは強い感情を生み出すことでありそれがワクワクして走り出したくなるような高揚である人もいればそれと同じくらいの強さの不安や動揺、困惑など、ストレスである人もいるのです。

つまり、もしも少女に「消えたくなっちゃう」きっかけがあったとして、誰かがそれに気づくことができて、少女が明日を生きたいと思っていたら、少女はまだ「生きていたんだよな」ということなのです。

これは起こってしまったことばかりに目を向けているのではなく、現在、そして、未来にも目を向けているのです。

しかし、ここまでの歌詞を考えると、亡くなってしまった少女の気持ちなど考えもせず、騒ぎ立てているような人たちは、きっと自分の周りの人たちのことにも気づくことなんてないんだろうという思いも見受けられますね。

彼女にとってその決断は少なくとも生きていることよりは「希望」のあることだった?

「今ある命を精一杯生きなさい」なんて
綺麗事だな。
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで
風になって 遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ

出典: https://www.youtube.com/watch?v=EEMwA8KZAqg

おそらくこの部分の歌詞が、一番誤解を招きやすい部分だと思います。

「自殺」を肯定するのではなく、今苦しんでいる人の気持ちも考えずに「自殺」を否定することであったり、「今ある命を精一杯生きなさい」と言い切ってしまうことを「綺麗事」だと言っているのです。

そして、ここでは述べられていませんが、自分のことを一番に考えてくれている人たちの気持ちも考えずに自分が死んだって誰も悲しまないと言い切ってしまうことも同じくらい「綺麗事」なのでしょう。

しかし、あいみょんはこの少女について考え抜いた結果「精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ」「希望を抱いて飛んだ」と言っています。

少女にとって、少なくとも生きていることよりは「希望」が見えたであろう答えをあいみょんは否定せず、生きることに勇気がいるように、死ぬことにも勇気を振り絞ったんだろうと考えたのでしょう。

おわりに

あいみょん「生きていたんだよな」の歌詞の意味がドラマ主題歌としては衝撃的すぎ!?MVありの画像

ここまでの歌詞解釈をまとめますが、曲名でもあり、サビで繰り返される「生きていたんだよな」という言葉は、あいみょんが考え抜いた末に出した結論であり、には大きく二つの意味があるのではないでしょうか。

一つ目は、自分が知らなかっただけで少女は最期の瞬間まで自分の近所で、「生きていた」という死によって気付かされた生の実感

二つ目は、もし何かが違ったらその少女は今でもまだ「生きていたんだ」という可能性です。

自分が生きていると実感する機会が希薄になりつつある現代社会で、自分の身の回りの誰かが生きているということも当たり前のようになってしまっているのが普通だと思います。

そして、その人を失って初めてその人が色んな奇跡を辿って自分の近くで生きていてくれたことがどんなに稀なことであったかということに気づかされる、このことが一つ目で生の実感という言葉で伝えたかったことです。

いつ何が起こるかも、また、いつ誰が「消えたくなっちゃう」かもわからないならば、少しでも誰かを大切にしたいと思ったり、誰かの気持ちを考えたいと思えないでしょうか。

自然災害や病気には無力でも、一言声をかけることで変わる未来ももしかしたらあるかもしれないのです。

 あいみょんが考えた少女はもう亡くなってしまいましたが、「消えたくなっちゃうのかな」と少女にあいみょんが共感しようとしたように、今命を絶つことを考えている人に対して、たとえ自分にはわからない感情だったとしても共感できるくらい誰かの気持ちを考え抜いて、生きていることを実感して、そして、一緒に生きていくことのできる可能性を生み出すことは、もしかしたらできるのかもしれません。

これこそ「綺麗事」かもしれませんが、これは筆者がこの曲を聴いて考えたことであり、この曲が気づかせてくれるのは簡単にいうと人の気持ちを考えることの重要性でもあるので、今読んでいるあなたが感じたことが一番大切なことです。

最後になってしまいましたが、このように考えると、初対面でありながら不動産屋に来た人と向き合い、その人のことを考えて新たな可能性を生み出すというドラマの趣旨と、曲は合わなくもないのかもしれませんね。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。