島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたの波の花

出典: 島唄/作詞:宮沢和史 作曲:宮沢和史

島唄よ、風に乗って死者の魂とともに海を渡り、天国に召されるように。島唄よ、風に乗って本土にこの沖縄の惨状を伝えてほしい。

でいごの花が散った夏、戦闘は終幕を迎え再び平穏が訪れた。

平和な時の穏やかで幸せだった日々は波間にはかなく消えてしまったかのように何もかも失われてしまった。

終戦間際の日本はすでに武器も兵力も尽きていましたが、それでも沖縄を見放すつもりはありませんでした。

当時の日本の最高技術を集め、1941年に建造された軍艦「大和」については耳にしたこともある方が多いことでしょう。

1945年4月、海上特攻隊として沖縄方面に出撃した「大和」でしたが、その途中アメリカ軍機動部隊の猛攻撃を受け、撃沈します。

大和の乗組員は出航前に全員甲板に集められ、今度の計画が事実上の特攻作戦であることを伝えられていたそうです。

しばし沈黙が続いた後、誰一人取り乱すことなく夕刻には君が代斉唱と万歳三唱を行い、おのおのの故郷の方角に向けて帽子を振り、別れを告げたといいます。

怒りを感じる歌詞

この歌詞は、沖縄で信じられている聖地ニライカナイへ戻るという場面です。

海のかなたにはニライカナイという場所があって死んだ人が戻り、命が誕生する聖地と考えられています。

戦争で犠牲となった命は、海を渡ってニライカナイへ行ったのです。

そして沖縄の人々の悲しみや怒りを唄にのせて本土へ届け、といっているのでしょう。

悲しい曲調ですが、そこには戦争に対しての秘めた怒りを感じずにはいられません。

「軍官民共生共死」とは沖縄の人々は軍と共に全滅するまで戦うこと、を意味する政府のスローガンです。

資料によると、当時の政府は本土での決戦準備の為に沖縄を時間稼ぎの場としたそうです。

最終的に犠牲になったのは本土ではなく、沖縄の住民たちだったのです。

平和で穏やかな暮らしは波に浮かぶ泡のように儚く、まるで夢を見ているようだったことでしょう。

戦争が全てを奪い去ったのです。

沖縄戦の裏にある歴史

元々沖縄は琉球王国であり、当時の人々の間には少なからず沖縄は他国というイメージが残っていました。

実際に沖縄では、戦時中もスパイ容疑で殺されている人が後を絶たなかったということです。

まさに、弱者を利用した戦争といえるのではないでしょうか。

沖縄の真実は根深い所にあるようです。

この歌には、悲しみだけでなく本土への憎しみや怒りも含まれているように感じます。

大切な友へ愛を届けて欲しい

ニライカナイへ

ウージの森で歌った友よ
ウージの下で八千代の別れ

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

出典: 島唄/作詞:宮沢和史 作曲:宮沢和史

さとうきび畑で共に過ごしてきた友とも、さとうきび畑の防空壕の中で永遠の別れとなってしまった。

肉体を失った多くの魂が穏やかに天国へ召されるようにと願う私の愛がとどきますように、と歌っています。

「八千代の別れ」の部分は君が代の歌詞の「千代に八千代に」に被せています。

在りし日に、さとうきび畑で過ごす少女たちの笑顔が浮かびます。

これからもずっと一緒に笑ったり、泣いたりして成長していくはずでした。

しかし、例え生き残っても彼女たちは自決という道を選択させられます。

ひめゆり学徒隊の中には、お母さんに会いたいという想いで必死に生き抜いた少女たちもいたそうです。

本曲を捧げられたおばあちゃんも、きっとその一人でしょう。

死んでしまった友や家族を思い、自分の愛がニライカナイへ届くようにと祈りを捧げているようです。

平和への祈り

海よ 宇宙よ 神よ いのちよ このまま永遠に夕凪を

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

出典: 島唄/作詞:宮沢和史 作曲:宮沢和史

この島を見守る海よ、誰も抗うことのできない多いなるスケールの宇宙よ、万物の創造主である神よ、この島にどうか永遠の平和がもたらされますように。

戦争というまやかしの正当性の犠牲になった多くの沖縄の人々。

1945年の4月からの約3ヶ月間に沖縄県ではいったい何が行われたのか?

教科書には記されていない惨状を克明に表したのがこの『島唄』の歌詞だったのです。

夕凪は夕方に無風となる海の様子です。

全ての裳のに平和を祈る姿は、痛々しくも強くあります。

これはきっと、ひめゆり平和祈念資料館で当時を語るおばあちゃんの姿ではないでしょうか。

生き残ったことを悔いたり、戦時中亡くなった者たちの声が頭から離れなかったりしたといいます。

地獄のような日々を思い出したくない、そんな思いもあったでしょう。

それでも強い心で立ち上がり、後世の人へ戦争の残酷さや平和の大切さを語っていたのです。

彼女の願いは、唄となって語り継がれていくでしょう。

波に例えた戦争

沖縄の自然を取り入れた

風を呼び 嵐が来た
さざ波がゆれるだけ
永久に夕凪を

出典: 島唄/作詞:宮沢和史 作曲:宮沢和史