6枚目シングルは、退廃的な大人のナイトロマンス
連続してタイヤメーカーのCMソングに起用
シーショアで失った恋を回想する前作「夏のクラクション」の次に稲垣潤一が発表したシングルが「ロング・バージョン」。
1983年11月1日リリース。
「夏のクラクション」同様、横浜ゴムのCMソングに起用。
「夏のクラクション」もそうだが、稲垣潤一の曲は時にリズミカル、時にムーディでCM映像にとても合う。
「夏のクラクション」はそれまでの暗めで渋い大人のラブソングからやや抜け出して、青春期の若者を歌の主人公に設定してもおかしくない楽曲だった。
ところが「ロング・バージョン」になると、また大人の恋愛シーンに戻り、歌詞の内容が「ドラマチック・レイン」や「エスケイプ」をはるかに超えた領域へと踏み込んでいる。
湯川れい子が描き出す、アダルティな恋の駆け引き
エロティックにしか読めない、男と女の関係
歌詞を書いたのは、女性のディスクジョッキーの草分けで、現在、音楽評論家、作詞家、またはテレビのコメンテーターとして活躍する湯川れい子。
デビュー曲「ランナウェイ」を始め「トゥナイト」「街角トワイライト」「ハリケーン」といった、初期のラッツ&スター(当時、シャネルズ)の作詞家として有名な彼女。
一連のラッツ&スターのナンバーは、ドゥーアップを利かせた、モータウン風のゴキゲンなアメリカン・ポップスで、陽気でダンサブル。
歌詞もポジティブでハツラツとした感じ!
ところが「ロング・バージョン」は、アダルティなムード歌謡、または湿っぽい演歌の匂いさえ漂う。
五木ひろしや中条きよしあたりの演歌歌手が歌ってもおかしくない、大人の夜の物語。
稲垣潤一のナンバーは、もともとそうした大人の恋愛シーンを描いたものだったが、なかでも「ロング・バージョン」はグッとアダルト感がアップした。
一体どうして?
“棚からぼたもち”式に譲渡された名曲
1stアルバムから関わっていた湯川れい子
それはこういうこと。
湯川れい子が書いた「ロング・バージョン」は、最初から稲垣潤一に向けて書かれた楽曲ではなかった。
もともと某女性歌手の曲として書いたものだったが、その提供が中止になり、一転、稲垣のもとへ。
湯川れい子は、稲垣の1stアルバム「246:3AM(にーよんろく・スリーエーエム)」に4曲も提供しています。
だから、そんな関係もあって稲垣潤一にこの曲がまわってきたのかも。
ともかく「ロング・バージョン」は稲垣潤一が歌うことになり、彼の2ndアルバム「TRANSIT」に収録されます(アルバム収録の後、シングルカット)。
今まで以上にアダルティな内容の曲を、彼が歌うことになったのはこういういきさつからです。
稲垣潤一、強運ですね。
なぜなら、この曲、演歌系の歌手が歌っても十分様になる、ディープな男女の曲だから。
結ばれた男女が見つめる、腐れ縁な恋の前途
「ロング・バージョン」に漂う大人の夜の匂い
ではディープな男女を歌った歌詞をみていきましょう。
約束しないと責めて
泣き疲れた姿勢のままに
いつか軽い 寝息の君は
急に あどけない顔して
出典: ロング・バージョン/作詞:湯川れい子 作曲:安部恭弘
このワンコーラスめの歌詞内容を読むだけで、この男女が初恋にときめくような青臭いカップルではないことが明白。
何度か逢瀬を重ねた、そうした関係のカップルなのがわかります。
泣き疲れて寝ている女の顔を男が見てる、という情景は、もはや二人が結ばれた後だということを暗示します。
ふたりの関係はサビでもっと明確に表現されます。
さよなら言うなら今が
きっと最後のチャンスなのに
想いと うらはらな指が
君の髪の毛 かき寄せる
出典: ロング・バージョン/作詞:湯川れい子 作曲:安部恭弘
泣き疲れた女はおそらくベッドに寝ているのでしょう。
あどけない表情を見せる女に対して、「さよなら言うなら今が」「きっと最後のチャンス」と男は思う。
つまり二人の関係はもはやピークを過ぎて、男は女と別れたくなっている。
しかしそう思いながらも、あどけない(またはしどけない)女を見ていると、ついついその髪の毛に手をやってしまう。
心の中では、この女と別れるなら今だと思いつつも、なぜか求めてしまう。
心と体が真逆にはたらく、どっちつかずの悩ましい状態・・・これって誰にもあります。
そういう男女関係を“腐れ縁”と呼びます。