東京オリンピック
1964年東京オリンピック
1964年に日本で初めて開催されたオリンピック、それが東京オリンピックです。
2020年開催のオリンピック、パラリンピックは2回目の東京オリンピックということになります。
実は日本、1940年に東京でのオリンピック開催権を返上したことがありました。
時代は第二次世界大戦、真っ只中。
日中戦争が長期化する中、国内外からの反対があり開催には至りませんでした。
その後、敗戦し国としてどん底にいた日本。
1964年の東京オリンピックは、国際社会への復活という誇らしい出来事でもありました。
国民が熱狂
1964年東京オリンピックに対する国民の熱狂ぶりは、今の比ではありませんでした。
戦争で負けた日本が、急速に復興し発展していった時代。
実はその前の1960年夏季オリンピックにも立候補し、ここでは負けていました。
再度の挑戦で開催権を得た日本。
アングロサクソン系ではない有色人種国家による初めてのオリンピックとなりました。
オリンピック開催に向け、多くの競技施設やホテル、交通網などを整備。
その多くが現代まで使われ、親しまれています。
東海道新幹線が開業したのも、1964年。この頃、テレビの普及も急速に進みました。
開会式の10月10日が、体育の日のはじまりでもあるんです。
半世紀以上も前の出来事が現代の私たちの生活につながっていて、そこに歴史を感じます。
三波春夫さんとは
昭和の時代を代表する歌手
三波春夫さんは新潟県出身の1923年生まれ。
もともとは浪曲でその芸能人生をスタートさせています。
浪曲とは、三味線を伴奏に台詞と節で物語を進める演芸。
三波さんの歌には、浪曲で培われた歌唱力が生かされ、日本人の遺伝子に刻まれた心のひだに響きます。
戦時中は4年間もロシアで捕虜になっていました。そんな中でも浪曲を披露していたそうです。
1957年に演歌歌手としてデビューすると、そこから活躍の幅を広げました。
2001年にお亡くなりになりましたが、まさに昭和を代表する歌手でした。
大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」もヒット曲の一つ。
この「世界の国からこんにちは」と「東京五輪音頭」を”生涯の宝物”と話していた三波さん。
激動の時代を生き抜いた偉大な歌手でいらっしゃいました。
お客様は神様です
三波春夫さんが語った有名な言葉の一つに「お客様は神様です」というのがあります。
これは自分の歌を聴きに来てくれた方に対する想いだったそうです。
晩年、商売などにおいて違う使われ方をすることがあり、本意ではなかったとも言われています。
三波さんご自身は自分の歌を聴いてくれる方を神様のように想い、真摯に歌っていらっしゃったのです。
神様であるお客様を、いかに楽しませ満足させるかということに注力されていたのでしょう。
三波さんの温かく誠実なお人柄が伝わる素敵なエピソードです。
歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。
ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。
また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです。
出典: http://www.minamiharuo.jp/blog/2007/04/post_9.html#more
多くのアーティストが歌った曲
『東京五輪音頭』は作曲者が録音権を解放していたため、当時、多くのアーティストがレコードを発売しました。
橋幸夫さんや三橋美智也さん、坂本九さんも歌っておられます。北島三郎さんと畠山みどりさんの盤もあります。
このうち、三波春夫さんのレコードが一番の売り上げを記録しました。
最近では、福田こうへいさんや氷川きよしさんなども歌っています。
年末の紅白歌合戦でも披露されており、当時の熱狂を思い出す方もきっと多いのでしょう。