『MISERY』MV視聴!!
2018年夏真っ盛り。
早いものでhideが亡くなってから20年が経ちました。
彼の死はファンのみならず、多くの日本人を悲しませたことと思います......。
ただ、彼の歌は時代を超えて愛されています。
今回はソロ作『MISERY』を徹底解剖。

イントロのワウペダルをかけたギター。
四つ打ちのドラム。
hideさんの曲はキャッチ―なものが多いですが、とりわけこの曲はキャッチ―ですね。
アメリカのスーパーで買い物する様子とノイズ交じりの編集。
曲調がアメリカン・ロックですので、MVもそれに合わせてアメリカンですね。
2007年に再発売
死してなおその人気はうなぎ上りで、2007年にマキシシングルとして再発売されました。
筆者も彼のファンなので、彼を知らない若い世代の方たちにも聴いてもらえると嬉しいです。
上に挙げたのは発売当初のシングルジャケットです。
アンディー・ウォーホルが創始したポップアートのようなジャケットですね!!
『MISERY』誕生の経緯
難病にかかっている少女との交流がきっけけ
制作の発端は難病を患ったhideのファンである少女、貴志真由子との交流
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/MISERY
『MISERY』が生まれたきっかけは、hideと、ある少女との出会いでした。
その少女の名は貴志 真由子さんといいます。
真由子さんはガングリオシドーシス、いわゆるライソゾーム病に罹っていました。
ライソゾーム病とは先天性代謝異常に分類される病気です。
世界でも20数例しかない、希少な病をかかえていたた真由子さん。
そんな彼女はhideの熱烈なファン。
彼女は、難病を抱えた子どもたちの団体を作ります。
その団体の活動がきっかけで彼女はhideと会うことができました。
一個人としてのhide
一人の人間としても一流だったhide
hideは真由子さんと会って骨髄提供を決意しました。
真由子さんを「難病の少女」として見るのではなく、「一人のファン」と見ていたhide。
彼は真由子さんと会っている間、あくまでも自然体だったそうです。
X JAPANのギタリストとして社会的成功を収めたhide。
人によっては成功を自慢したり傲慢になりますね。
しかし、hideはそんなことありませんでした。
ギタリストとして超一流。
また、一個の人間としても超一流だったんですね。
下に挙げた動画は、当時2人の様子を描いた動画になります。
Part1からPart3までありますので、ぜひご覧ください。

一人の人間として真由子さんの生き方に感銘を受けたhide。
真由子さんのために自分は何ができるのだろうと自問したことでしょう。
hideといえば音楽。
音楽で真由子さん、ひいてはリスナー全員を勇気づけようとしてこの曲が作られました。
次からは『MISERY』の歌詞解説に入りたいと思います。