MVでは鶏が演奏隊を引き連れてパレード、蛇が大型ねぶたで出陣、豚が巨大バルーンを持って登場しています。
どの動物もド派手な演出をしているのは「この世のどこを見渡しても、必ず煩悩からは逃れられない」ということを意味しているのかもしれません。
仏教の世界において、私たちは生まれながらに煩悩があるとされています。
サブタイトルでもある「Gate Of Living(この世の門)」。
つまりこの世に誕生した瞬間から、私たちは煩悩と向き合っていかなくてはならないことを示唆しているのではないでしょうか。
だんだんと可視化されゆく煩悩
三体の動物たちのうち、「愚かさ」を象徴する豚。
MVの終盤で、鎖に繋がれた巨大な豚バルーンが空に向かって飛んでいきます。
飛んでいくバルーンとともに、再び明かりをつけ始める高層ビル。
それまで暗闇の中にあったために見えていなかった煩悩が、だんだんと見え始めてきたことを意味しているのかもしれません。
日々生み出される私たちの苦しみは、全て煩悩が原因。
たとえ目に見えなくとも、煩悩と向き合うことで三毒の活性化は抑えられる。
そんなメッセージが込められているような印象を受けました。
MV中に登場する椎名林檎の役割とは
今作のMVに椎名林檎が登場しているシーンはわずか十数秒ほど。
時々銀座の時計台から街を見渡すシーンと、最後に三体の動物が集うシーンのみです。
短い時間しか登場していませんが、この演出にも何か理由があるのでしょうか。
気づかないうちに膨れ上がった三毒にどう立ち向かおう
三体の動物が東京の街を練り歩いている様子を、ただただ黙って見つめている椎名林檎。
その背景に映り込む銀座の時計台を見ると、針が物凄いスピードで動いていることがわかります。
時間が経つにつれて、貪りも怒りも愚かさもこんなに大きくなってしまった。
さて、この三毒にどう立ち向かっていこう?
その姿は、まるで今までの人生を送る中で膨れ上がってしまった己の三毒を見つめなおしているかのように見えます。
三体の動物たちが椎名林檎の前に集う意味
曲の終盤で、椎名林檎の前に鶏・蛇・豚の三体の動物が終結します。
そして驚くことに、三体の動物はみな椎名林檎の前に跪くのです。
これが意味するもの。
それは椎名林檎本人が己の煩悩と向き合い、三毒を制しているのではないかと筆者は考えます。
この世に誕生した瞬間から持つ三毒を完全に消し去ることなんて、はっきり言って不可能です。
じゃあ、三毒がこれ以上大きくならないようにするには?
三毒と向き合い、己をしっかり見つめなおす。
つまり本来の仏教の教えが理解できたときに、三毒を制することができるのであると伝えているのではないでしょうか。
時系列で辿ってみるとさらに面白い
「ふたりの虚無僧が東京タワーで女と出会った夜。女が行き場のない気持ちを抱きながら六本木を歩いた夜。ある男女が銀座で待ち合わせた夜。男が不思議なトンネルに迷い込んだ夜。そんな夜の、ほんのちょっと前に東京で起こった出来事を映像にしました。マジ卍」
出典: https://sp.universal-music.co.jp/ringo/
今作のMV監督は、ここ数年でたびたび椎名林檎のMV制作を務めている児玉裕一監督。
この「鶏と蛇と豚」のテーマについて語ったコメントから、曲中の時系列を推測してみてください。
おそらく「神様、仏様」「長く短い祭り」「目抜き通り」「獣ゆく細道」をイメージした方も多いのでは。
これら全ての作品には歌詞を含め、人間の煩悩が色濃く表現されています。
そんな物語の伏線となっている「鶏と蛇と豚」。
三毒が大きくなる、即ち人間が煩悩まみれになる直前の様子を描いていることがわかります。
MVに登場しているダンサーは誰?
三体の動物に扮するAya Sato
さて、今作に登場している擬人化の鶏と蛇と豚。
三体の動物をそれぞれのダンサーが演じ分けているように見えますが…。
驚くことに、実はどのダンサーも同一人物なのです。
三体の動物に扮しているのはダンスユニット「Aya Bambi」のメンバーであるAya Sato。
過去には椎名林檎のツアーでバックダンサーを務めていたこともあるそうです。
それぞれ全く違う役なのに、ここまで別人のように演じ切る表現力はさすが椎名林檎のお墨付きといったところです。