「TOKIO」と1980年
1980年1月1日という時代を区切る日にリリースされた沢田研二のシングル「TOKIO」。
沢田研二といえば「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」などのビッグヒット曲を思い出します。
その上、当時は映画やドラマ、果てはドリフターズのコントにまで出演して多忙を極めるスーパースター。
今の芸能界と較べると彼のような存在は見当たりません。
若いリスナーにはもっともっと知って欲しいカリスマ中のカリスマです。
そんな沢田研二が1980年代の幕開けを飾ったのが「TOKIO」になります。
作詞はコピーライターが本職の糸井重里、作曲は名プロデューサーでもある加瀬邦彦。
1970年代には阿久悠の作詞で数々の名曲を送り出してきた沢田研二。
1980年代の幕開けには糸井重里の作詞を採用して新しい姿に変貌しました。
沢田研二のバックを支えた井上堯之バンドの最期の演奏も素晴らしいです。
日本社会も2度目のオイルショックを乗り越えて新時代へと向かっていた時期に曲がリンクしました。
鮮烈な衝撃だった
歌謡曲を変えてしまった
空を飛ぶ 街が飛ぶ
雲を突きぬけ星になる
火を吹いて 闇を裂き
スーパーシティが舞いあがる
出典: TOKIO/作詞:糸井重里 作曲:加瀬邦彦
有名過ぎる歌い出しです。
それでも時代を経てこのフレーズをご存知ない若いリスナーもいらっしゃるかもしれません。
1980年1月1日という記念すべき日にこのラインが鳴り響いたことの衝撃といったら言葉に尽くせないです。
これまでの歌謡曲の歌詞のスケールを悠々と飛び越えてくれたことに喝采が集まりました。
何といっても旧い日本的な叙情がかけらもないのです。
これは円谷プロダクションの特撮モノの世界に似ているでしょう。
怪獣映画やヒーロー物ではすでにあった世界観です。
しかし歌謡曲の歌詞にそうした傾向を移入するなんて驚き以外の何物でもないでしょう。
街が空中に浮かんでしまうのですから映画以上のスペクタクルショーかもしれません。
この歌の肝心な点はすべてがエンターテイメント・ショーの中の出来事のようであること。
とてつもないスケールの話なのですが空飛ぶ都市の輝きによって闇が裂ける映像が目に浮かびます。
言葉や聴覚で捉えているのにビジュアルに訴える破格の力があるのです。
イントロのシンセサイザーの旋律
このラインの前に流れたイントロもとても大事な要素です。
今にしてみれば拙い演奏なのですがシンセサイザーのモノトーンでの旋律が耳に残ります。
この少し前にYMOが登場して日本に限らず世界中をテクノ・ポップが席巻しました。
「TOKIO」のイントロはまさにYMOへの熱い連帯の意志を表したものです。
新しい時代の音楽を積極的に後押ししたい。
それも沢田研二・ジュリーの歌謡曲でやってみたい。
プロデューサー兼作曲家の加瀬邦彦の思惑は大成功しました。
これまでの沢田研二のヒット曲の多くは阿久悠による作詞です。
阿久悠が関わっていた時代の沢田研二も間違いなく素晴らしい歌を歌ってきました。
作詞家とシンガーの幸福な関係ができあがっていたのです。
しかし時代は1980年代に突入します。
何か新しい価値観を添えたものを沢田研二側が欲しがったのでしょう。
コピーライターの糸井重里に白羽の矢が立てられます。
糸井重里はこの曲「TOKIO」でその期待に十二分に応えてくれたのです。
「TOKIO」の秘密
「テクノポリス」の言語化
TOKIO TOKIOが二人を抱いたまま
TOKIO TOKIOが空を飛ぶ
出典: TOKIO/作詞:糸井重里 作曲:加瀬邦彦
「TOKIO」とはもちろん東京のことです。
ヨーロッパ圏では「Tokyo」ではなく「Tokio」と訳します。
しかしこの曲「TOKIO」にはさらに先輩がいました。
先述したYMOの大ヒット・シングル「テクノポリス」の冒頭でヴォコーダー処理された言葉。
それこそが「TOKIO」です。
YMOも「テクノポリス」で東京の街を最先端の魔界都市として描きます。
しかし冒頭のヴォコーダーでの「TOKIO」という歌詞以外はインストゥルメンタルの楽曲です。
YMOの「TOKIO」は言語化されません。
そうした欠落を補ったのが糸井重里による作詞「TOKIO」なのです。
都市を擬人化するワード
「TOKIO」は「トキオ」というカタカナの響きで日本語圏では擬人化されます。
「東京=Tokyo=TOKIO=トキオ」
こうした等号が成り立つのです。
東京の街は恋するふたりを抱きしめてくれます。
おまけにふたりを抱えたまま大空高く飛び立つのです。
これはアニメ・ソングでも現れなかった発想でしょう。
アニメ・ソングは主人公や登場人物のことを説明するくだりがつきものでした。
しかし「TOKIO」は説明が不要です。
先行するYMOが世の中をひっくり返すくらいに浸透していたので「TOKIO」はすでに流行語のようなもの。
その言葉を借りてさらにスーパーシティに成長した1980年代の東京の街のすごさを言語化したのです。