明るいものが生き残る時代
1980年という区切りを体験したことで世相は浮足立っていました。
1970年代初頭は安保闘争・学園闘争の敗北などを引き摺った暗い時代。
しかし1970年代も後半になると好調な経済を背景に活気づいてゆきます。
懸念材料だった第二次オイルショックを日本経済は企業社会の強い基盤で乗り越えました。
ここから先、日本経済は空前絶後のバブル経済期まで上昇トレンドで突っ走るのです。
独創的な日本製品が現れ始めたのもこの時期です。
たとえばSONYの「WALKMAN」は1979年に発売開始されています。
その他自動車産業などが活況を呈しました。
芸術・文化の領域にもそうした社会情勢につれて変化が訪れます。
「時の過ぎゆくままに」身を任せていたアウトローたちが社会の中心に進出するのです。
そのうちより明るいものだけが生き残るようになりました。
この傾向には功罪があります。
それでもYMOのようなビッグバン現象が起こり日本の文化水準を一気に押し上げるのです。
新時代のテーマソング誕生
こうした経済・文化の好調さからダイレクトに恩恵を受けたのが東京という街です。
かつては関東大震災、次いで東京大空襲で一面焼け野原になってからアジア随一の街に成長します。
新しい音楽やファッションなどの文化が東京から世界中へ発信されました。
「テクノポリス」としての「TOKIO」という文脈はこうした社会全体の流れと切り離せません。
そして1980年代に世界に名だたる都市・東京=トーキョーへと肥大化してゆくのです。
沢田研二の「TOKIO」は夢物語として消費された訳ではありません。
しっかりと現実とリンクしたものとして理解されました。
「TOKIO」という楽曲と歌詞にある勢いやときめきがそうした事実を本物だと裏付けたのです。
人々は「TOKIO」としての東京の活況に興奮を覚えました。
今では東京以上に発展している都市が他のアジア諸国から誕生します。
しかし1980年の日本社会はそうした未来を想像もできずに我が世の春を謳歌していたのです。
そうした新時代のテーマソングこそが沢田研二の「TOKIO」でした。
不夜城・東京
ハードボイルドな世界観
海に浮かんだ 光の泡だと
おまえは言ってたね
見つめてると 死にそうだと
くわえ煙草で涙おとした
TOKIO やさしい女が眠る街
TOKIO TOKIOは夜に飛ぶ
出典: TOKIO/作詞:糸井重里 作曲:加瀬邦彦
夜の東京の街を海に輝く光のようだと彼女は喩えます。
この箇所は楽曲「TOKIO」がスローダウンしてメロウなサウンドになる場面です。
詩的な表現が糸井重里に浮かんだのでしょう。
街並みに光るネオンライトを見ていると死にたくなってくるというのはハードボイルド小説のよう。
ハードボイルド小説では心優しい男と女の恋模様を描くことがあります。
当時の沢田研二のイメージは百変化でした。
映画では冴えない高校教師を演じたり、ドラマでは三億円事件の犯人役になったりします。
シンガーとしてだけではなく俳優としての演技も定評がありました。
彼は望まれればどんな役柄でもこなせたはずです。
ハードボイルドな世界観だって主演映画「太陽を盗んだ男」とさほど遠くはありません。
昭和の歓楽街の魅力
東京には種々雑多な人々が暮らしています。
たくさんの人々を吸収して夜には眠りを見守るスーパーシティでした。
そこには様々なドラマがあります。
ひとつひとつが当事者にとっては大切な記憶になるでしょう。
東京での暮らしは不思議な高揚感を住民にもたらします。
故郷の寂れた町では経験できないような出来事が毎日起こるのです。
特に夜の東京の街は魔境のような姿を示します。
不夜城であって夜に生きる人には特別な成功だって待っているのです。
昭和ですから歓楽街としての東京の魅力は今の東京の比ではなかったでしょう。
だからこそスーパーシティは夜に空高く飛行するのです。
様々な人々の色々な欲望をエネルギーにして飛翔します。
これが1980年の東京の力なのです。
「TOKIO」と欲望
何でも手に入る社会の出現
欲しいなら何もかも
その手にできるよ A TO Z
夢を飼う恋人に
奇跡をうみだすスーパーシティ
TOKIO 哀しい男が吠える街
TOKIO TOKIOが星になる
出典: TOKIO/作詞:糸井重里 作曲:加瀬邦彦
日本社会の特殊性は「資本主義原理の過剰貫徹」にあります。
易しい言葉でいいかえると資本の側の希望によって労働者も消費者も様々に惑わされている状態です。
資本主義の原動力は飽くなき欲望でしょう。
その欲望を充足させるには東京ほど相応しい都市は他にないかもしれません。
今は「失われた30年」で消費者の購買力が低下する一方の日本社会。
しかしときは1980年です。
経済の好調さが後の「国民総中流社会」と呼ばれる時代を生みます。
文字通りに国民すべてが中流の生活をして過ごせる社会がかつての日本にはあったのです。
今はその点で熾烈な「格差社会」で上級国民以外は皆、仲良く底辺をさまよっています。
時代の変化というよりは国力の衰退が原因です。
そんな現代の視点からは考えられないほどの購買力が消費者にはありました。
欲しい物が手に届くお金があったのです。
それは刹那で軽薄な希望も手に入るということでした。
AからZまで手に入る都市「TOKIO」。