そんな混沌とした時代と現代では、大きく異なるものや価値観は多いでしょう。
しかしやはり若者の「大人」に対する印象は、同じくしてあまり良いものではないのかもしれません。
歌詞の中に出てくる「三十」という年齢。
成人から十年が経ち、仕事や家庭など、社会生活における色々な責任も少しずつ肩にかかってくる時です。
そんな重圧など請け負いたくない。
一生自由にのびのびと暮らしていたい。
そう考えてしまうのも妥当かもしれません。
周囲のロールモデルとなるべき「大人」が、その重圧に暗い顔をしていたら、余計に。
「オトナ」のミリョク
それでも「オトナ」は…
ぜんぜん楽勝 恐れるに足らん
オトナはサイコー!青春続行!
人生を背負って大ハシャギ
出典: オトナノススメ~35th 愛されSP~/作詞:増子直純 作曲:上原子友康
そう、背負うべき人生の重圧も含めて「サイコー!」と叫んでいるのです。
何故こんなことが言えるのでしょうか?
その理由は、彼らが「オトナ」になったからに違いありません。
「大人」の年代になって気づくのは
「大人に夢は無い 大人を信じるな!」
バカ言うな!夢ならあるし 誰か騙す予定もねェ
出典: オトナノススメ~35th 愛されSP~/作詞:増子直純 作曲:上原子友康
若い頃に見て自分の中に形成されていた「大人」像。
それはきっとこのカギカッコでくくられた、若者の言葉と同じようなものだったのかもしれません。
けれど、「大人」と呼ばれる年代になって、気づくのです。
「大人」の全てが、夢を持たず、他人を騙すことに頭を使い、重圧に押しつぶされながら生きながらえている。
いや、そういうわけではないのだ、と。
彼らこそが「オトナ」
バンド自体が「over 30」となってもなお、活動を続ける怒髪天。
また、彼らを慕いトリビュートに参加したのも、「大人」と呼ばれる年代の面々です。
けれど、この楽曲を聴き、映像を見てみるとどうでしょう。
皆が皆個性の強い表現者でありつつも、個性を殺し合わず活かしあっている。
自分の声や演奏の持ち味を存分に活かしつつ、楽曲の良さを引き立てている。
それぞれのやり方で、全員で、怒髪天というバンドのアニバーサリーを寿いでいるのです。
これこそ、素敵な「オトナ」だと思いませんか。
「オトナ」になったら、できること
そのような個性が出せること、それを活かしあってアンサンブルを生み出せること。
これは恐らく、「オトナ」でなければできない技でしょう。
年齢を重ねても夢や目標を持ち続け、経験を重ねて個性を作り上げてきたからこそ。
そして年齢を重ねることで、他者と認め合える寛容さを持てるようになったからこそ。
これは「オトナ」だからこそ実現しえることなのではないでしょうか。