Aメロ(2回目)

列を乱すことを恐れて
眠る人の末路なぞり消える
下手に目を付けられず生きるには
人としての華やかさは邪魔だ

出典: 偽物の宴/作詞:京寺作曲:眩暈SIREN

今の日本は便利になった代わりに、人と人のコミュニケーションが希薄になってきています。

それが原因となり、昔では考えられなかった事件が多発していますね。

この歌詞にあるように、目を付けられず生きることが大事なのかもしれません。

人としてのステータス、鮮やかさと華やかさを捨てて小さく生きる現代人。

これが良いことなのかそれとも良くないことなのか......。

シリアスで、なかなか答えが出ないテーマですね。

Bメロ

路頭に迷わされ 錆び付く意思も
すでにこの身に馴染んで手放せない

出典: 偽物の宴/作詞:京寺作曲:眩暈SIREN

借り物の考え方しかできず、それにすがりつく人間。

例え自分以外の人がYESと言っても、自分はNOと言う勇気があるのか。

人は一人では生きていけません。

皆、助け合い生きています。

しかし自我を司るのは自分、自己です。

自分のアイデンティティを無くしてまで、社会に追従する必要があるのか

夏目漱石の『草枕』のフレーズにあるように、「出る杭は打た」れます。

自分も多数の意見と同じだったら、特に葛藤はしないでしょう。

ただ、自分の意見が少数派だったら?

少数派に留まる勇気はあるのか?

これができる人は非常に勇気のある人だと筆者は思います。 

サビ

言い放ったその言葉は
とっくの昔に誰かが言ってた
恒久不変の原点回帰さ
素敵な未来が手垢だらけだ
この後に及び生を足掻き抜けば
無様晒して手拍子
今のうちさ、悩ましい人生

出典: 偽物の宴/作詞:京寺作曲:眩暈SIREN

さも得意そうになって他人に言ったセリフが、偉人の引用だったりする時があります。

知らず知らずにそういう名言を使っているんですね。

これがバレた時の恥ずかしさったらないです(笑)

もう既にパワーのある言葉は出尽くされて、新しいパワーのある言葉が誕生しない現代

それは現代に産まれた人間の必然かもしれないです。

全てがレディメイド(既製品)なんですね。

生き方もスタイルも。

その中で今の私たちはどうすればよいのか?

この曲を作詞した京寺さん曰く、それはどうしようもないということです(笑)

栄枯衰勢、あるがままに任せようと歌詞で言っていますね。

文学や短歌好きの筆者からしてみれば、異論はあります(笑)

まだ、新しくて力強い言葉が生まれてくるはずと信じているからです。

それでも昔に比べ、今はその量が比べ物にならないくらい少ないとは思いますが。

2番Aメロ

放たれた言葉の本当の意味を
興味本位で歪めては
より面白い方を取り上げて
嘘は本物になった

出典: 偽物の宴/作詞:京寺作曲:眩暈SIREN

ここも象徴的歌詞ですね。

確かに、正確な意味で使用する言葉ではなく、ただ面白いだけで使用してしまう言葉はあります。

ことわざや慣用句の使い方もそうですね。

誤ったまま使われて、それが本当になってしまう事実。

筆者もライターなので、正確な言葉を使うよう肝に銘じておかなければなりません。

冷徹な世の中

Cメロ

ささいな好奇心と悪意
誰が尻尾を出すのか
見張ってる
途絶えぬ蛇の目

失せ物探しの世捨て人
流浪に疲れた遊び人
泣こうが叫ぼうが屑は屑
汚れてからが始まりだ

出典: 偽物の宴/作詞:京寺作曲:眩暈SIREN

語りかけるようなボーカルでCメロは始まります。

ここでは人間の嫌な本性が描かれていますね。

いつ誰が失敗するのか、見て見ぬふりをする人たち。

変わっている人は、いつもビクビクしながら過ごすしかないのでしょうか?

そのために十人十色ではなく、十人一色になるのであれば冷酷な世の中だと思います。

個体としてその人が変わっていようとも特に問題はないはずです。

しかし、コミュニティで暮らしを営む人間は異色な存在を消去したがる傾向があります。

ヨーロッパやアメリカなどは個人主義社会なので、変わっていようがいまいがとやかく言われません。

しかし、日本はまだまだそのあたりが不寛容です。

その人自体に罪はないのに、自分自身で「屑」と断罪してしまう人があまりにも多いと思います。

唯我独尊、それぞれの人生を生きる。

筆者はそれでよいと思います。