嘘を何度もつく人のことを「オオカミ少年」といいます。
これはある童話がもとになった言葉です。
何度も「狼が来た!」と嘘を言って信じてもらえずに羊を食べられてしまった羊飼いのお話。
食べられるのは羊だったり羊飼いの少年だったりと童話によって異なっていますが結局は一緒です。
嘘を何度もつくと肝心な時に助けてもらえないという教訓として語られます。
どちらにせよ、嘘をついたせいで主人公は大変な目に遭うのです。
俺はこの街を恨んだ羊飼い
山のふもとに住み 嘘をつき続けた
この街じゃ 誰も俺を信じない
「しめた!」
山からオオカミが街へ向かって行く
黙ってたら後で罪に問われる
俺は「オオカミが来たー!」と伝えたはずだ…笑
これぞ完全犯罪
出典: 勝者臆病者/作詞TAKUYA∞ 作曲: TAKUYA∞
この話だと酷い目に合うのは羊飼いの少年ではなく街の住人です。
童話を考えれば羊飼いの少年も、羊を狼に食べられ損をしているのでしょう。
童話だとそれで満足した狼でしたがこの話だと羊だけでは満足しなかったよう。
だから街まで行って人を襲おうとしている…。
何の準備もせずに急に街に狼が襲ってきたら街は大混乱です。
狼がきても準備しておくために知らせる、そんな役割を羊飼いの少年は持っていたのでしょう。
しかしその真意がどうであれ、少年は警告しました。
信じなかったのは街の住人達です。
確かに自己責任ととられ少年は罪に問われないかもしれません。
街の人を食い物にした「オオカミ少年」はまさしく彼なのに…。
後味の悪い話です。
現実でも起こりうる
この話、実は現在でも起こりうることです。
「オオカミ少年効果」という言葉を知っているでしょうか。
また誤報を繰り返すことによって、信頼度の低下を引き起こし、人に信じてもらえなくなることを「オオカミ少年効果」という。
例えば、土砂災害が予測される地域で避難勧告を出しても、実際に災害が起こらない「空振り」が発生する可能性がある。空振りを続ければ情報の信頼度が低下し、情報を受け取っても住民が避難しなくなることを「オオカミ少年効果」と呼ぶ。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/嘘をつく子供
別に災害警報が悪意を持っているということでは勿論ありません。
ただ、嘘つきの言葉を信じなかった結果不利益を被るのは嘘つきだけではないのです。
信じる、信じないは結局のところ自分の判断。
その結果何が起こったとしても最終的に自己責任になってしまうのかもしれません。
『鶴の恩返し』
タブーの原則
『鶴の恩返し』。説明は不要の名作です。
ある日訪ねてきた美女が織る機が評判になり裕福になる主人公。
しかしある日決して開けるなという言いつけを破ってしまい…。
童話に限らずに昔話において「○○するな」を行うと悲惨な結果になるのはお約束。
『弦の恩返し』では鶴であった美女は正体がばれたことで去ってしまいます。
しかし、この禁止を破ると罰を受けるのはあくまで昔話のこと。
現実では必ずしもそうとは限りません。
人の目がなければ好き放題
「いや、なんか おかしいな~と思ったんですけど
恩返しをしたいと言われて….
ふすまを開けるなって言われたんですよ
んで~ 色んな物が無くなってることに
気づいたのは鶴が帰った後でしたね」
出典: 勝者臆病者/作詞TAKUYA∞ 作曲: TAKUYA∞
突然現れて自分の世話を焼いてくれる美女。
空想の世界の話ならば羨ましいと思うでしょう。
しかし、現実で見知らぬ人が勝手に自分の家に押しかけて住み始めた。
いったい何が起きるかわかりません。
特に他人の目が届かない場所ならどんなこともしほうだいです。
それでも受け入れたのは主人公に得することがあったから。
主人公は鶴に機を織ってもらっていたのは確かなのでしょう。
普通に考えれば物がなくなっていたら気づきそうなものですが、目の前にお金が転がっている。
そんな状況だとついつい目が曇ってしまうのもわかります。
だからこそ主人公はなくなっていたものに気づかなかったのです。
けれども鶴が去って改めて落ち着いて部屋の中を見渡すとなくなっているものがあるのに気づいて…。
その時主人公は怒ったのか、呆れたのか、仕方がないと苦笑したのか。
もしも鶴のいうことを無視してもっと早い段階でふすまを開けていたら。
きっと物がなくなることはなかったのでしょう。
「○○するな」が必ずしも自分を守るわけではないのかもしれません。
自分にとって有益か
恩返しに来たのか仇を返しに来たのか。
それともただ機織りに対する対価をもらっただけなのかはわかりません。
しかし誰かの言葉による禁止によって不利益を被るのは現実でもよくあること。
誰かの言葉にがんじがらめになって身動きが取れなくなることもあります。
その禁止は本当に自分にとって有益なのか、見極める必要があるのでしょう。