3rdシングル「魔女旅に出る」
天才棋士、藤井六段の愛する曲
今回ご紹介する「魔女旅に出る」は、1991年に発売された、スピッツの3枚目のシングルです。
『白山瀬女高原スキー場』のCMソングとして起用され、スピッツ史上初のタイアップが付いた曲となりました。
また、この曲で初めてストリングスを取り入れたといい、何かと”初めて”が多い曲のようですね。
天才棋士と話題の藤井聡太六段が、同世代で、同じく天才の呼び声高い卓球の張本智和選手と対談した際、好きな音楽としてスピッツを挙げたそうです。
張本選手がスピッツの代表作である「チェリー」の名を出した時の藤井六段の答えは、世のスピッツ好きの心を撃ち抜きました。
藤井六段が返した答えは、”個人的にはセカンドアルバムの「魔女旅に出る」が屈指の名曲”ということ。
これには張本選手は”へぇ……。”としか返事ができなかったようです。
まあ無理もないですね。熱心なファンでもない限り、まだブレイク前のスピッツの曲を知らないのも道理です。
しかも張本選手も藤井六段も生まれるはるか前にリリースされた曲。
スピッツの代表曲として多くの人に馴染みのある「ロビンソン」や張本選手も挙げた「チェリー」、「空も飛べるはず」などではなく、「魔女旅に出る」を出してくるあたり……。
藤井六段のかなりのスピッツ愛が感じられますね。やっぱりいい音楽は、世代を超えて愛されていくものだということを実感させてくれました。
2ndアルバム『名前をつけてやる』に収録
「魔女旅に出る」は、2枚目のオリジナルアルバムである『名前をつけてやる』に収録されています。
このアルバムに収録されているシングル曲は、この「魔女旅に出る」の一曲のみです。
ヴォーカルの草野マサムネのルーツの一つであるというイギリスのバンド、Rideの影響を感じさせるアルバムとなりました。
草野マサムネに影響を与えた英バンド、Ride
Rideは、90年代のシューゲイザー音楽の旗手ともいえるバンド。
シューゲイザーとは、ディストーションのかかった歪んだギターサウンドに、囁くようなヴォーカル、曲全体の雰囲気としては甘く、ふわふわ漂うような曲調がその特徴とされています。
Rideはシューゲイザーの正統派といわれていますが、どちらかというと少しロックに寄った感じなので、シューゲイザー初心者の方にはとっつきやすいかと思います。
その他の代表的なシューゲイザーのバンドといえば、My Bloody ValentineやThe Jesus And Mary Chainなど。
是非一度、草野マサムネのルーツの音楽に触れてみてください。
シューゲイザー+スピッツ=”Ride歌謡”
アルバム『名前をつけてやる』は、Rideのようなシューゲイザーと、前作アルバム『スピッツ』で表現したような歌謡曲的な部分を融合させたサウンドを目指して制作されたそうです。
名付けて、”Ride歌謡”。
当時の彼らのやりたいことをやったんだな、という印象を強く受ける仕上がりとなっています。
一般的なJ-POP、J-ROCKの概念とは少し外れているようなアルバム構成ですが、スピッツの核となるものはこの頃から現在でも変わっていないことを感じさせてくれます。
ベストアルバムにも収録!
「魔女旅に出る」は、『名前をつけてやる』の他にも、ベストアルバム『CYCLE HIT 1991-1997 Spitz Complete Single Collection』にも収録されています。
このベストアルバムは2006年、バンドのデビュー15周年を記念してリリースされた、スピッツ初の公認シングルコレクションです。
1枚目から15枚目までのシングルがデジタルリマスタリングされ、収録されました。
「魔女旅に出る」の歌詞を考察
ここからは、「魔女旅に出る」の歌詞をご紹介します。
”苺の味”の意味は……
ほら苺の味に似てるよ
もう迷うこともない
僕は一人いのりながら
旅立つ君を見てるよ
手を離したならすぐ
猫の顔でうたってやる
ラララ 泣かないで
ラララ 行かなくちゃ
いつでもここにいるからね
出典: 魔女旅に出る/作詞:草野正宗 作曲:草野正宗
旅立ちには、別れがつきものです。
別れは、辛いし、寂しくなる。できれば、いつまでもこのままでいたいと思ってしまうものでしょう。
でもいろんな意味でも、別れは必要な場合があります。
自分を成長させるため。新しい世界に進むため。そういった場合です。
別れを経て進んでいった世界には、まだ見たこともない素晴らしい世界が待っているのかもしれません。
最初口に入れた時はひんやりとして酸っぱくて、でもほんとは甘い苺のように、別れとはそういったものなのでしょう。
甘さは、酸っぱさ=別れを体験しないと、味わえないのです。
迷っている”君”に、そう言って旅立ちを促します。
”君”の行く末が、幸せなものでありますように。
そう祈りながら、まるでいつでもつんとすました猫のように、何食わぬ顔で口ずさみます。
安心して、行っておいで。いつでも”僕”はここにいる。
もしも辛いことがあってもう無理だと思ったなら、ここに帰ってくればいいと。