現代社会への警鐘
なんでみんな 許さないの?
そして わたしは許せるの?
YES AND NO 単純に勝ち負けじゃない
この世界で 何が出来るの?
出典: YES AND NO/作詞:吉田美和 作曲:吉田美和,中村正人
上記の歌詞は、今を生きる私たちに対するストレートな問いかけです。
「間違いを犯した人」を、過剰なバッシングをせざるを得ないほど許せないのでしょうか。
「みんなが怒っているから…」という理由で、誰かの怒りに流されたことはありませんか。
その行為を許せないのは本当に自分なのか、1度立ち止まって考えることが大切なのです。
「これを許すと、甘すぎるって攻撃されるのでは」と空気を読んで怒ったふりをしていませんか。
人間にはそれぞれ自分の考えがあり、多くの人間がいるのですから意見が異なるのは当たり前のことです。
3行目の歌詞は「意見とは戦わせるものではない、認め合うものだ」ということを表していました。
大勢の人間がいる以上、大切なのは勝敗ではなく互いの価値観を認め合うことです。
相手が異なる意見を持っていても、そのせいで自分の意見が負けたことにはなりません。
こんなギスギスとした雰囲気の中で、自分にできることはなんだろうと胸に問いかけています。
ドラマの中では
上記の「自分で判断する」ということの大切さは、ドラマの中でも描かれていました。
1番のAメロで描かれていたように、病院薬剤師に失敗は許されません。
ですがドラマの中で、あるベテラン薬剤師が薬の管理についてうっかりミスを犯してしまいます。
結果的には大きな問題にはなりませんでしたが、一歩間違えれば大変な騒ぎとなっていました。
「薬剤師にミスは絶対許されない」と処分を望むベテラン薬剤師を、上司は許します。
これは、「何を許すかは自分で判断する」ということを表しているのではないでしょうか。
上記のサビで表現されていたように「自分はそんなに許せないのか」と自問した結果の判断といえます。
日常にある理不尽
なかなか感謝されない
楽しいイヴェントは そう発生しない
肩すくめて ヒヨリミで生きてる
出典: YES AND NO/作詞:吉田美和 作曲:吉田美和,中村正人
1行目の歌詞は「病院薬剤師は医者や看護師と違ってあまり感謝されない」ということを表していました。
病気や怪我が治ったとき、患者がお礼を言うのは医者や担当してくれた看護師に対してです。
かげながら患者の安全を支えていた薬剤師にお礼を言うことは、なかなかないでしょう。
それでも葵は、どんなに頑張ってもそう感謝されない現実に落ち込んだりしません。
それは当然のことだと、受け止めているようでした。
限りなくクロに近いグレーは 余裕でセーフでまかり通る
なんなら 大腕を振ってる
出典: YES AND NO/作詞:吉田美和 作曲:吉田美和,中村正人
上記の歌詞は、ほとんど間違っているものがさも正しいかのような扱いを受ける現実を表しています。
これは、ドラマのあるシーンを連想させました。
見当違いの診断を繰り返す医者に、葵は正しい病名と適切な処置を提案します。
あくまで医者に処置を促したにすぎませんが、彼はそれを越権行為だと腹を立ててしまいました。
怒った医者は、葵を医療安全委員会にかけてしまいます。
その委員会では、いかにして彼女に処分をくだすかが話し合われました。
葵は患者の命を間一髪のところで救ったはずなのに、医者の機嫌を損ねたせいで理不尽な目にあうのです。
理不尽がまかり通る現実
上記の歌詞はドラマのストーリーを描写しているだけでなく、現代社会への警鐘ともなっていました。
多くの人が、恵まれているとは思えないような日々を過ごしています。
「人生そんなものだよな」と諦めたように生きている人もいるのではないでしょうか。
「ヒヨリミ」という単語は、下記の日和見主義を表しているようです。
日和見主義(ひよりみしゅぎ)とは、「ある定まった考えによるものではなく、形勢を見て有利な側方に追従しよう」という考え方のことである。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/日和見主義
自分がどう思っているか真剣に考えることがないから、誰かの意見に流されることに抵抗がありません。
そしてそんな風に生きているから、誰かの「間違った行為」を見て見ぬふりをしてしまいます。
見ないふりをしてやり過ごしたほうが、自分にとっては得だからです。
多くの人が自分の利益のために見過ごすことによって「間違った行為」も正しいことにすり替わります。
現代社会にて、よく目にする光景ではないでしょうか。