雨の降る情景をここまで美しく彩った歌詞がかつてあったでしょうか?
舗装された道路が次第に雨色に染まってゆきます。
”ピッチ・ピッチ・チャップ・チャップ・ラン・ラン・ラン♪“
向かいの歩道を駆けてゆく子どもの姿が目に映ります。
真新しい黄色い長靴は買ったばかりなのでしょうか?
飛沫をあげながら軽やかにスキップしています。
純粋に雨を楽しむ子どもの姿が思い出させてくれた童心。
街はもう痛快ウキウキ通りです♪
君の部屋を知っていること。
そのことから電話の相手はお付き合いをしている方なのだと推察されます。
「この雨が上がったらあの子をデートに誘おう」
待ち合わせは駅から徒歩で行ける君の部屋。
なぜなら1993年当時、携帯電話は現在ほど普及していなかったから。
関東近郊の私鉄沿線の街並み、駅から徒歩数分の部屋。
それは互いに1人暮らしをする若い男女の甘い交際を物語っています。
描かれるのはカップルの何気ない日常風景。
そう思っていると小沢健二はあるトリックを仕掛けてきます...。
そんな過去を懐かしむ主人公
ナーンにも見えない夜空仰向けで見てた
そっと手をのばせば僕らは手をつなげたさ
けどそんな時はすぎて 大人になりずいぶん経つ
出典: 愛し愛されて生きるのさ/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二
実は「愛し愛されて生きるのさ」で描かれる主人公は昔の甘い思い出に浸っていました。
あの頃、私たちはいつも隣で笑いあっていたね。
君のお気に入りだったチェックのベレー帽が懐かしいな。
月が輝く夜空が待ってる夕べさ
突然ほんのちょっと誰かに会いたくなるのさ
そんな言い訳を用意して 君の住む部屋へと急ぐ Uh ah
出典: 愛し愛されて生きるのさ/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二
雨の音や月明かりを見ると、ふとそのときの感情が蘇る...。
ある程度年齢を重ねてきた方には少なからずそんな思いでがあると思います。
しかし小沢健二は当時26歳。
この老成した雰囲気をなぜ表現することができたのでしょう?
Aメロだけでも彼が天才といわれる所以が分かるというものです。
リバース・エッジ(川崎)ノーザン・ソウル
10年前の僕らは胸をいためて「いとしのエリー」なんて聴いてた
ふぞろいな心は まだいまでも僕らをやるせなく悩ませるのさ
出典: 愛し愛されて生きるのさ/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二
小沢健二と川崎北部ニュータウン
「いとしのエリー」はいうまでもなく「ふぞろいの林檎たち」の主題歌です。
小沢健二は帰国子女として知られていますが日本での生育地は川崎市北部のニュータウンです。
「ふぞろいの林檎たち」を手掛けたのは脚本家・山田太一。
実は山田太一は同様に川崎市北部に居を構えています。
徐々に賑わいを見せ始める開発途中のニュータウンに移り住んだ山田太一。
しかし街が均一的に区画されてゆく様は彼に空虚な気持ちを植えつけたといわれています。
「ここで育った子どもたちはどのような若者に育つのだろう?」
山田太一の作品にはそんな思いが色濃く反映されてゆきました。
その代表作が「ふぞろいの林檎たち」です。
小沢健二と山田太一の抱えた空虚がシンクロする
山田太一は「ふぞろいの林檎たち」で当時の平凡な若者の抱える苦悩や将来への絶望感を描きました。
ドラマから感じられる原風景はニュータウンが象徴する閉塞感そのものです。
それは小沢健二が常に心の中に感じていた虚無感と同一のものでした。
かつて山田太一が危惧したニュータウンで育つ若者とは小沢健二そのものです。
意図は不明ですが小沢健二は「愛し愛されて生きるのさ」の終盤に山田太一作品を引用します。
スチャダラパーとの類似点
いつだって可笑しいほど誰もが誰か 愛し愛されて生きるのさ
それだけがただ僕らを悩める時にも 未来の世界へ連れてく
出典: 愛し愛されて生きるのさ/作詞:小沢健二 作曲:小沢健二