出だしの1行は年長者がよく言うセリフ。
いつの時代も年長者によくある、あるあるですね。
これに対する皮肉が隠されているようです。
「そろそろ見た目でみんな一括りにするのはやめようよ」そんな声が聞こえてきそうです。
みんなが言う「普通」って一体何なのでしょうか。
読者の皆様の中にも「普通って何?」と思う方がいるかもしれません。
誰にとって何が基準で「普通」なのか。
今の時代、そういう価値観ももはや通用しなくなっているのではないでしょうか。
それでも「普通」を求めてもがく「君」に「普通なんてないんだよ」と伝えているようです。
「普通」を求める人には、”普通という価値観ではなく、自分自身の信じるものを”というのが気の毒なこともあります。
ここではそれを伝えているような気がします。
君との出会いはまるで奇跡
60億個の当たり前の中で 365個の出逢いの中で
僕は作ってる 大事にあっためてる 吹き飛ばされそうな
その1個を今も育ててる
出典: 最後の晩餐/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
当時の世界人口が60億人だったのかも?と思いましたが確かな数字は合致しません。
でもここでは、世界中の人の当たり前があって、365日の毎日が出会い。
そんな中で君と出会った日がどれだけ確率的に低いもので尊いものなのかが伝わってきますね。
そして主人公はその1個=君との出会いを今も大切にしていることがわかります。
「君」への想いは継続中の様ですね。
現代に蔓延るのは…
お金がほしいと誰かが言う 終わらないエコノミー
不景気、為替相場大荒れ模様 世界中でハーモニー
地球を3個も帰るお金 両手に抱えてもなお
どこで何やってるんだ宇宙人 速く取り立てにきてよ
出典: 最後の晩餐/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
膨大なお金を手にしてもなくならない欲望。
人間の生々しいお金への執着がうかがえます。
その一方で、不景気に苦しみ「お金」に執着する人もいる。
まるでハーモニーを奏でるように、嘆く人々の声が想像できます。
そんなバランスの悪い現代を揶揄しているようです。
いっそのこと、宇宙人でもいいからその欲望をすべて取り去ってほしい。
そんな想いがあるのではないでしょうか。
ここで宇宙を引き合いに出しているのは、壮大な宇宙に比べたら人間なんてちっぽけなもの。
人間の欲にまみれたダークな部分などとっぱらってしまえばいいのに。
そんなことを考えさせられる歌詞でもあります。
表裏一体のような世の中
誰かほら、ちゃんと言ってやってよ その君の笑顔は
誰かの悲しみで生まれ 絶望で花開くと
宇宙の片隅に追いやられた この名もなき世界の当事者
仕方なしに自らを名付けたか弱き者
出典: 最後の晩餐/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
ここで出てくる「君」は先にでている「君」とは違うのではないでしょうか。
ここはやっぱり現代に見え隠れする「偽物」を皮肉っているような気がします。
幸せだと笑っている誰かの笑顔の裏には、傷つき奪われ、悲しんでいる人がいる。
そんなことあってはならないと思いますが、実際に黒い部分があるのが世の中。
”人の不幸は蜜の味”という言葉があるように、誰かの絶望が誰かの幸せになり得ることもある。
そんな不条理な世の中を歌っているように感じました。
でもそういう人は野放しになっているわけではありません。
いずれ社会から追い出されるのです。
か弱きものが意味するのは、”間違っていると知っていながら甘い蜜を吸うしかなかった精神の弱さ”
そんなことを表しているようです。
毎日が戦い、毎日が出会い
60億個の正しさの中で 365個の戦いの中で
僕は守ってる 大事に育ててる 僕だけが知る正解に丸を
つけてる
60億個の当たり前の中で 365個の出会いの中で
僕は作ってる 大事にあっためてる 吹き飛ばされそうな
その1個を育ててる
出典: 最後の晩餐/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
生きているというのは365日戦っているのと同じ。
世界中の人々がどんな形であっても自分の正義の中で生きている。
それもわかっているからこそ、自分だけにわかる正解があるのではないでしょうか。
丸を付けているというのは、自分の中の正しさを信じているということ。
主人公は、”今がどんな世の中で、どんな生き方をするべきか”しっかりと認識しているようです。
「君」との出会いの確率は奇跡と言ってもいいほど低から、それをずっと大事にしている。
そんなアツイ想いが伝わってきます。
主人はこう「君」のことがとても大切なのですね。
世界を心配するより今日あったことを話そう
当たり前の話でいいよ 近頃は聞けないから
この世の寿命がどうとかより とっくに終わってるってさ
出典: 最後の晩餐/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎