悲願十年この祈り
神様だけが知っている
出典: 岸壁の母/作詞:藤田まさと 作曲:平川浪竜
端野いせさんは、苦悩と悲しみが無限に押し寄せる中、ひたすら無事を願っていました。
いつまでも続く”悲願”は、長い長い戦いのよう。
容易に言葉で言い表せません。
あえて”知って”と記し、誰にも理解しきれないことを示しています。
たとえ”神様”でも、心痛を感じ取るだけ。立場を察することはできない。
計り知れない悲しみが2行の詞から伝わってきます。
昭和29年(1954年)9月には厚生省の死亡理由認定書が発行され、昭和31年には東京都知事が昭和20年(1945年)8月15日牡丹江にて戦死との戦死告知書(舞鶴引揚記念館に保存)を発行。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/岸壁の母
母親は、子どもを自分の命に代えてでも守り抜こうとします。
それは、自然と備わっている性のようなもの。
ゆえに、たった一枚の紙きれを見ただけで、子どもの死を受け入れることはできません。
遺族となった後も、「息子よ、どこかで命を繋いでいておくれ」という“祈り”を続けたのでしょう。
戦争が人を狂わせて
流れる雲よりも風よりも
つらいさだめの
つらいさだめの杖ひとつ
出典: 岸壁の母/作詞:藤田まさと 作曲:平川浪竜
激動の時代に天寿を全うした端野いせさん。
戦争によって、家族を失い、人生の歯車が狂いました。
それでも、息子さんという”杖”を手にして、懸命に生き抜いたのでしょう。
戦時中、多くの若者が戦地に赴きました。
「おっ母さん」と叫びながら戦車に突っ込み、無残に散りゆく尊い命。
にもかかわらず、厳しい戦況が日本国内に届きませんでした。
お国に命を捧げることが美学と考えられ、出兵する際の涙はご法度。
端野いせさんも感情を押し殺し、笑顔で息子さんを送り出したのではないでしょうか。
「命よりも大切なものなど、この世にない」と思いながら。そして、終戦後に後悔の念を抱くことに。
”つらいさだめ”には、戦中・戦後に苦しい生活を強いられた人々が投影されているようです。
昭和51年9月以降は高齢と病のため、通院しながらも和裁を続け生計をたてる。息子の生存を信じながらも昭和56年(1981年)7月1日午前3時55分に享年81で死去。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/岸壁の母
端野いせさんをはじめとする岸壁の母。
彼女たちは、死の直前まで息子のことを考えていました。
“雲”の形、川面に映る人影、自然の事象に息子の姿を重ね合わせていたのではないでしょうか。
考えれば考えるほど、胸が締め付けられるものの、生存を諦めきれなかったのです。
もしかすると、最期まで思いをはせることが出兵を全力で阻止しなかった贖罪だったのかもしれません。
どこまでも悲しい運命が描写された詞は、涙を誘います。
さいごに
【岸壁の母】は、我が子に対する母の愛情を描写しています。
同時に、戦中・戦後の出来事をまざまざと伝えるのです。
平和な生活であることの有難みと共に、戦争の凄惨さを実感できるでしょう。
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