「生きててよかった」というフレーズは、曲が進むほど熱をこめて歌われます。

それはきっと歌詞の通り、「そんな夜」を強く求めて探し回っているからでしょう。

そう、それこそが彼らの走り続ける目的です。

「生きててよかった」と思える夜を得ることこそが目的なのです。

それを得るために彼らは走り続けます。

得るために、続けていく

けれど「生きててよかった」かどうかはその人の感じ方によるものです。

数値のような明確な基準で表せません。

そのためそれが得られたかどうかはとても曖昧なものです。

だからこそ彼らはこう歌うのです。

全開の胸 全開の声 全開の素手で
感じることだけが全て 感じたことが全て

出典: 深夜高速/作詞:鈴木圭介 作曲:鈴木圭介

感情を素直に、そしてきちんと受け取れるように、胸を「全開」にしておく。

そうすればわずかなことにも心が震わせられるような自分でいる。

たとえそんな小さなきっかけでも強く思うことができるでしょう。

「生きててよかった」と。

そしてその機会はきっとより多く訪れるはずです。

走り続けることを止めてしまわない限りは。

活動、それは生きること

そう考えると、彼らの旅には確かに「目的地」はありません。

なぜなら、生きることと同様に明確なゴールなどないからです。

人生には必ず終わりがあり、死は誰にも等しく訪れます。

けれどそれは終着地点であり「目的地」ではありません。

そう考えると「目的地」のない彼らの旅は、人生そのものでもあるのではないでしょうか。

バンドとして活動すること、音楽を続けること。

また、それ以外にも「生きててよかった」と思える瞬間はたくさんあるはずです。

その瞬間を求め続ける心さえあれば。

十代が終わっても

"大人"が忘れてしまうもの

青春時代は満ち足りない思いを抱える時期と先述しました。

そんな時期を過ぎると人は大人になります。

いわゆる大人は、そんな"欠けた"状態でもなんとか生きていきます。

我慢したり、足りないままやっていくことに慣れたり。

それを"分別がつく"というのかもしれません。

けれど追い求めることを止めて慣れると、その分心が麻痺してしまうことがあります。

物事を素直に受け止めたり、生まれた感情を素直にあらわしたり。

そういうことができなくなっていくのです。

わがままを言いすぎるのは社会にとってよくないことかもしれません。

けれど自分がどう感じてどう思うかを忘れてしまったらどうでしょう。

それはきっと自分自身をなくしてしまうことにつながるのではないでしょうか。

人生の全てを載せて

僕が今までやってきた たくさんのひどい事
僕が今まで言ってきた たくさんのひどい言葉
涙なんかじゃ終わらない 忘れられない出来事
ひとつ残らず持ってけ どこまでも持ってけよ

出典: 深夜高速/作詞:鈴木圭介 作曲:鈴木圭介

人間に生まれる感情の中には、良いものもあれば悪いものもあります。

心を開いて全てを受け止めるならば、嫌な感情が生まれることもあるでしょう。

そしてそれは人生が長く続けば続くだけ増えていきます。

けれど、そうだとしてもいいから心を開いていたい

その覚悟が彼らにはあります。

それはきっと「忘れたよ」とは言いつつ「忘れられない出来事」がたくさんあるからでしょう。

つまり彼らが青春時代をとうに過ぎてもここまで生きてきた証です。

そういった意味では彼らは大人にはなっているのです。

心が震える自分でいたい

だからこそ、どんどん熱をこめて彼らは繰り返します。

「生きててよかった」という気持ちを探しているのだと。

わずかなことも逃さず受け止めて、心を震わせられる自分でいたい

そう主張している…というより、自分自身に刻み付けているかのようです。

そう、旅を続けていくうちに彼らも歳をとります。

大人と呼ばれる年代を生きていくうち、強い気持ちを忘れかけてしまう可能性もあるでしょう。

それこそ音楽は人の心を震わせるもの。

感情を込めていなければ、聴衆に伝わるものもありません。

つまり彼らが走り続けるためには、「そんな夜」が必要なのです。

または、それを得たいと思う心が。

もしかしたらそれが「青春ごっこ」の真髄なのかもしれません。

旅を続ける、そのために