世界の現実
幼い命まで巻き込まれる現代
言わないだけ
争わないだけ
何でこんなに簡単なことが
複雑さを増すのだろう
血が流れること
子が夢見るその目に
焼き付けないようにしたいだけなのに
出典: どうせなら雨が良かった/作詞:川谷絵音 作曲:川谷絵音
現代には、生産性のない無意味な争いが溢れています。
その争いはかつて日本が経験したような、武力同士をぶつけ合う戦争ではありません。
テクノロジーが発展したこの時代だからこそ生まれてしまった争い。
それは、わたしたちの身近にも溢れています。
匿名だからこそ何でも言いあえてしまう、ネット上での誹謗中傷。
「誰でもよかった」なんてくだらない理由で犯す、憂さ晴らしのための殺人。
根拠なんてものは時代とともに薄れてきていて、いまや「なんとなく」が蔓延しています。
そんな現代日本だからこそ歌詞前半にある通り、子どもでもわかる簡単なことさえ通用しないのでしょう。
そして、続く引用部分後半では大人の切なる願いが描かれています。
ここでの「血」は、物理的に受けたダメージで流れるだけではありません。
目に見えない暴力が溢れているこの時代、誰かの心が受けた傷からも「血」は流れているのです。
真っ当な大人たちは、夢のある子どもたちにそんな様子を見せたくないと願っています。
その「血」が子どもたちの輝く目を汚してしまわないように…。
その「血」が子どもたちの大きな夢を濁してしまわないように…。
そんな強い願いがありながらも、どこかうまくいっていない雰囲気が漂っていますね。
願いは簡単には届かない…
あーあ あーあ
今日も崩壊中
やーだ やーだ
明日は雨らしい
出典: どうせなら雨が良かった/作詞:川谷絵音 作曲:川谷絵音
先ほどの歌詞で綴られていた通り、強い願いは届きません。
ルールは守られることなく、人々のエゴによって壊され続けているのです。
そんな状況に対して嫌悪を抱きながらも、ここでは口だけ…な人々の様子が描かれていますね。
そして引用部分最後の歌詞にご注目。
翌日の天気に触れていますが、何だか唐突すぎるようにも感じてしまいます…。
これは一体どのような意味を持っているのでしょうか。
ひとまず歌詞を読み進めていきましょう。
悲しみに打たれながら
消えないような夜に
みんな笑えるような
デマカセを考えるくらいは
諦めきれないの
悔しくて 悔しくて
方法に辿り着かない雨
降りしきる後悔の涙を
掬った日のことを忘れない
出典: どうせなら雨が良かった/作詞:川谷絵音 作曲:川谷絵音
ここの歌詞は、ストレートに解釈することもできます。
…が、もっと深読みしてみると実は、冒頭の歌詞に繋がっているとも考えられるのです。
言い換えていくと、夜=未来・デマカセ=明るい未来ではないでしょうか。
冒頭、無意味な争いのせいで子どもたちの未来が脅かされていました。
その未来は消えることなどありません。残念ながら、現在と地続きです。
そうであれば、変えられない未来に少しでも希望を持たせてあげたい…。
真っ当な大人たちは、子どもたちがそんな暗い未来を生き抜けるよう頭を悩ませました。
その結果が、デマカセを考えること。
これは先ほど言い換えた通り、未来に抱く希望のことを指していると捉えられます。
その希望を語ることで、子どもたちを笑顔にし、未来を強く歩んでいく糧にしてほしい…。
「子どもたちの未来を汚したくないという願望」を諦めることなく、そのために奔走する様子が感じられます。
しかし、引用部分後半に注目してみてください。
大人たちが頑張って考えた未来への希望が、どうやら子どもたちには伝わっていないようで…?
これは想像していただければ心当たりのある方も多いでしょう。
どんなに希望を唱えたって、子どもたちはいずれ自分たちのその目で世の中の真実を見て、そして理解します。
そうなれば、大人たちの語る希望が幻想かもしれないと疑惑を抱くことになるでしょう。
そうならないために…そうなった時のために…大人たちは打開策を練りますが、なかなか見つけられません。
うまくいかないもどかしさ、悔しさ、悲しさ…それらは歌詞中で「涙」に例えられています。
前半で流れていた温かい雰囲気が、後半で一気に墜落していますね。
それでも捨てられない希望
未来には何があるのだろう
さりげなく慈しむ
誓いに等しい背伸びをしながら
反対側が見えないかって
目を細くする
出典: どうせなら雨が良かった/作詞:川谷絵音 作曲:川谷絵音
ここも比喩表現が用いられていますね。
つま先を立てて、塀の中を覗き込もうとしているのでしょうか。
ここで覗き込みたいと願っている「反対側」、つまり塀の中は、「子どもたちの未来」でしょう。
引用部分2行目の比喩はつまり、これまで同様「子どもたちに希望を与えるんだ!」ということ。
しかしその行動で、子どもたちの未来を変えられる自信がないのでしょう。
だからこそ、先回りしてその未来を覗き込もうとしているのです。
子どもたちの目は汚れていないかな…。子どもたちの夢は濁っていないかな…。
大人たちはそんなことを考えながら、子どもたちの行く末を案じているのでしょう。