生と死がテーマの楽曲
1995年は平井堅がデビューした年
本楽曲「1995」の1995年とは、平井堅が歌手デビューした年です。
その当時の出来事を独自の目線で描いたこの楽曲は、生と死をも表現しています。
本人曰く「『死』を抱きしめて『生』を舞う。再び会える、その日まで」とのこと。
生と死という当たり前にありつつも目の当たりにする機会の少ない題材。
それを表現しているだけに、幾通りにも解釈できるこの世界観は非常に難解です。
ちなみに朝の情報番組「スッキリ」のエンディングテーマです。
このシュールな楽曲で迎える朝もなんとも言えませんね。
MVの妙な世界観
老人に近い男性が、平井堅の生首と踊ったり一緒に酒を飲み食わしたり風呂に入れたりと好き勝手しています。
このMVのテーマは息子を思う父親の深い愛情といわれていますが、むしろ狂気といえる内容です。
ただ見方をちょっと変えると、戯曲の「サロメ」を彷彿とさせます。
サロメとは、踊りを披露して片思いした男性の首を得て愛でるという物語。
このおじさんは平井堅の生首を頬ずりしたり添い寝したりと、とても愛おしそうにしています。
歌詞の内容や踊り狂うMVにしてもサロメとは無関係には思えません。
とするとこれが愛情の表現方法のひとつなのでしょう。
ただその最後には本人が登場し、「で?」と一蹴されてしまいます。
そこにはどういった意味があるのでしょうか。
ワクワクから不信感へ
緑色の涙 踊らせてくれよ
何もない夜でも 踊らせてくれよ
誰かのせいにして 踊らせてくれよ
眠らずに済むから
出典: 1995/作曲:Hidefumi Kenmochi 作詞:Ken Hirai
歌っていたい
ここに出てくる「踊る」という言葉。これは平井堅の歌手活動に対する思いと言えるでしょう。
最初に緑色の涙とありますが、黄色い声援など人は例え難い事象に色を付けて表現します。
これはギリシャに多い表現なのですが、緑色というのは生命の象徴。
つまりポジティブな気持ちがここにはあります。
「踊りが好きだから踊らせてほしい、特別な理由がなくても踊りたい」。
踊りを歌手活動と言い換えると、歌を好きなだけやりたいという感情が感じられます。
溢れ出す焦燥感
やりたくてやっていた歌手活動が、焦燥感ばかりになってしまいます。
活動に芽が出始めると、自分をたくさんの実力者と比べてしまいます。
休んでしまうと周りに遅れを取りそうで不安になりますし、実は全部夢でしたなんてオチは嫌です。
しかし踊り続けることができればそんな不安を考えずに済むし、夢もさめません。
だから誰かのせいにしてでも踊り続けなければ、不安になることはないのです。
このとき、歌手活動は楽しむものからやらなければならないものに様変わりしています。
強い権力には逆らえない
ケラリケラリ 傷むこともお構い無しで笑った
サラリサラリ 強いフリのレプリカ達が歌うよ
出典: 1995/作曲:Hidefumi Kenmochi 作詞:Ken Hirai
ここでは自分が傷ついていくことも気にできない状況を歌っています。
売れるためのイメージ戦略、こうしろと言われたらやるしかない状況。
それがたとえ自分が傷つくことであっても気にせずに笑わなければいけない。
ケラリケラリは、笑顔を演じていることを表しているのでしょう。
しかしそれを嘆こうにも先輩方や同期はそういった事象をサラリサラリとこなしていく。
業界の求めるレプリカとなって一緒に歌っている状況。
平井堅が歌手デビューして以降の苦悩がここに表れているのではないでしょうか。