1999年のささくれだった心境

周囲から浮いていても

Mr.Children【FIGHT CLUB】歌詞徹底解説!本当の敵は誰?タイトルはあの映画が由来!の画像

戻らないぜ 帰れないぜ あのバカらしい日々に
後ろ髪を引かれてみても

「わかってない奴らばっか」と 嘆いては
自分は特別だって言い聞かせた

出典: FIGHT CLUB/作詞:KAZUTOSHI SAKURAI 作曲:KAZUTOSHI SAKURAI

誰も時系列を転換して過去に戻ることはできません。

私たちは1999年を帰れない過去に置いてきました

馬鹿な真似をたくさんしてきたあの日々は一方で自身の若い頃でもあります。

若い日々というのはあらゆる記憶が鮮烈なものです。

年を経ても若い頃の自分が夢に立ち現れることもあります。

どんなに馬鹿をやった日々であってもかけがえのない時間であったことは事実でしょう。

それでも桜井和寿はあえてあの時代に戻ることはしないと歌います。

愛憎が入り混じった想いを抱えているのでしょう。

この若い時期は自分のことを何か特別な存在だと思いがちです。

この点は語り手である主人公も、その友人も同様でしょう。

まわりの同意を得られない理由は自分が高尚なことをしているからと思い込んでしまう。

周囲から浮きまくっていても怯まずにあらゆる方面に攻撃の矢を放っていたような時代です。

桜井和寿の実年齢では1999年はアラサー男子でした

Mr.Childrenはすでに大ヒット曲を連発しているロック・スターです。

スターであった彼にはこれ程の自由はなかったようですから、想像力に頼った部分も多い歌詞でしょう。

それでも1999年の空気の荒れてささくれだった様相を巧妙に歌詞に反映させています。

荒れ狂う青春

自警団のような思い上がり

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駐車違反のジャガーのボンネットにジャンプして踊ってた
荒っぽいステップで
まるで路地裏のヒーローを気取って
惨めな気分を踏み潰してた

サイレンの音...
走って逃げた夜

出典: FIGHT CLUB/作詞:KAZUTOSHI SAKURAI 作曲:KAZUTOSHI SAKURAI

ジャガーは「勝ち組」が乗るようなクルマです

しかしいくら駐車違反をしているからといって、クルマのボンネットでジャンプしてはいけません。

駐車違反の取り締まりは警察が別にやってくれます。

しかし何か正当化できる理由をひとつでも見つけたならば自分の正義の方を信じてしまう

この自分の正義の恐ろしさは暴力的な行為を伴うことです。

映画「ファイト・クラブ」でブラッド・ピットが巨大企業へのテロを正当化してゆく過程に似ています。

自警団のような気分で街の治安を守るのは俺達だとイキってクルマを踏み潰してしまうのです。

踏み潰したものはクルマであり、自身の中にある劣等感でもありました

桜井和寿はこうして出来事の裏をも同時に描きます。

もちろん周辺住民によって警察に通報されました。

追いかけてくる警察車両から走って逃げます。

荒んだ日々、荒れ狂う青春

こうした事件は1999年に限らず、あらゆる時代に起こっています。

ただ、時代設定の1999年とこうした事件の描写がリンクすると特別な意味を持ち始めるのです。

1999年、世紀末のグロテスクなカーニヴァル

あの年の人心の荒廃と、一方で高揚した気分の交錯が再確認できるのです。

幼いけれど輝く日々

あの日々は何だったのだろう

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やがて酔いが回り
口にしたすべてを吐き散らかし高笑い
「若かった」で片付けたくないくらい
この胸の中でキラキラ
輝いてる大事な宝物

出典: FIGHT CLUB/作詞:KAZUTOSHI SAKURAI 作曲:KAZUTOSHI SAKURAI

どこかのバーでの語り手と友人の談笑へと場面が変わったのでしょう。

かつての自分たちをどこか突き放して描いてきましたが、やはり若かりし頃の記憶は大事です。

ふたりは過去を「馬鹿騒ぎ」という言葉で片付けられてしまうことを心のどこかで拒みます。

あの頃の自分たちは間違っていたという想いは歌詞の前半で触れられました。

しかし振り返ってみるとかけがえのない光を放っていることは認めざるをえないと歌います。

思慮が浅かったからたくさん馬鹿なことをしたけれど、その日々を若いの一言で片付けたくない。

あの頃にやったたくさんの馬鹿騒ぎが今の自分を作っているのも事実だと認めるのです。

思い返すと1999年という年は混沌として他のどの年にも似ていません。

彼ら程の馬鹿騒ぎはしていない人でも、1999年の高揚した雰囲気を懐かしく思い返すことはできます。

どうもアンゴルモアの大王など落ちてきそうにないなという醒めた思いもありました。

一方で「Y2K(2000年)問題」はどうなるのだろうという思いもあります。

1999年から2000年になった瞬間にコンピューターが紀元0年にリセットされる。

そのことによって世界中で大混乱が起こるだろうという予測があったのです。

この大混乱への戸惑う想いは1999年が終わって2000年になった瞬間に何事もなく氷解しました。

あの騒ぎは何だったのだろうと懐かしく思い返します。

皆、若かったです。

混沌としていましたが今よりも希望にあふれていたような気がします。

あの日々が大切な想い出であることには変わらないでしょう。

本当の敵を見極めよう

一緒に生き抜こう

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真の敵見つけ
そいつと戦わなくちゃ
少しずつ怖いもんは増えるけど
死を覚悟するほど まして殺されるほど
俺達はもう特別じゃない

共に今を生き抜こうか my friend

出典: FIGHT CLUB/作詞:KAZUTOSHI SAKURAI 作曲:KAZUTOSHI SAKURAI

「FIGHT CLUB」の歌詞を駆け足でたどってきました。

気がつけばあっという間にクライマックスです。

「FIGHT CLUB」の実際の楽曲はさらにスピード感あふれるものですが。

この曲の結論部分と大団円になります。

桜井和寿はここからのラインに今の想いをびっしりと凝縮させるのです。

仮想敵を詰ったりするだけでは何も変わらなかったこと。

これから先の生活では本当の敵は何なのか見極めて、巨悪と闘わなくてはいけないと歌います。

その敵が何かということまでは明示されていません。

リスナーは自分自身で本当の敵を見つけるところから始めなければならないでしょう。

映画「ファイト・クラブ」では資本主義社会でエゲツないことをしている巨大企業を敵視しました。

しかし、まだまだその先に倒すべき敵がいることが描かれています。

この映画「ファイト・クラブ」のストーリーも本当の敵に関するヒントをくれるかもしれません。

ただし、あの映画が描いたのは1999年の認識の限界内のものです。

今や本当の敵はさらに狡猾に私たちの暮らしの細部にまで浸透しているように感じます。

しかし闘うとはいっても映画のように生命を掛けてチャンバラを演じる訳ではありません。

ましてや若い頃のように自分の存在が特別に思えた時代はとうに昔のことになりました。

誰も皆、ヒーローのような活躍が望まれるような存在ではないのです

とにかく連帯感を大切に一緒に生き抜こうよと歌います。

人生は祭りだ 共に生きよう

これは名画「フェリーニの8 1/2」のラストのセリフです。

楽曲「FIGHT CLUB」のラストの言葉によく似ています。

デビッド・フィンチャー監督はもっとエキセントリック。

映画「ファイト・クラブ」のラストはもっと破壊的ながら多義的な解釈が可能なもので希望をも描く。

Mr.Children楽曲「FIGHT CLUB」のラストはふたつの名作映画の中間にあるようなものです。

希望をつなぐためにはまず私たちが苦しい現実でも生き抜いてゆくことが大切だと歌ったのでしょう。