歌詞
簡単に手に入る飴玉
自分の純情をスプーンにひとすくい街に 喰わせるたび貰えるキャンディを
舌で転がしながら記号化した言葉に 「助けて」というWordは無いようだ
出典: http://j-lyric.net/artist/a000611/l004229.html
「自分の純情」とは、この時代に社会問題化した援助交際や売春のこと。
ひとすくい、という表現から、本格的なものではなく例えば現代の「デートビジネス」のように、手軽なものを指している様子。
キャンディはもちろん、おじさんからもらえるお小遣いのことでしょう。
あまりに簡単で手軽なことのように思えてしまうこの行為。
援助交際をしている女子高生自身も悲劇だとは思っていないからこそ、「助けて」なんて言わないし、むしろ進んで手を染めてしまいます。
いつも感じている寒く深い闇の この場所がもう既に街の胃袋の中
幸せすぎるのが不幸なこの頭が 切れない剃刀を探している
出典: http://j-lyric.net/artist/a000611/l004229.html
でも、そんなことを繰り返すうち、あったはずの「純情」は消えていきます。
簡単に手に入るお金や、欲しかったはずのものが色あせていくとき、彼女は絶望に気付きます。
簡単な「援交まがい」で手に入るお金によって幸せになったはずなのに、漠然とした不幸を感じてしまい、どうしようもなくなって彼女は薄いカミソリで手首を切ってしまいます。
もちろん化粧用の薄いカミソリなんて、死ぬための手段にはなりません。
その傷は、まぎれもない彼女からのSOSなのです。
そんな「リストカット」も、この頃とても問題になりました。
君はボイルした時計の皮むきにただ夢中になっている
出典: http://j-lyric.net/artist/a000611/l004229.html
これは、かの有名な学者“ニュートン”がかつて、研究に没頭するあまり時計を卵と間違えてボイルした、という逸話からの歌詞。
間違った行為に夢中になっている、という比喩でしょうか。
いつの時代にもある熱
どこから聞こえる情熱の歌が 泣こうとしている君へと寄り添う
過去か未来か確かにあったなら ここにだってみつけられるのかも
出典: http://j-lyric.net/artist/a000611/l004229.html
群集に紛れて息を殺しているうち枯れてしまいそうに なる希望というアイデンティティ
空気を奪いあう地下鉄のホームで 生暖かい風を浴びている
出典: http://j-lyric.net/artist/a000611/l004229.html
群衆の中で目立たぬように息をひそめているうちに、自分らしさ(アイデンティティ)を見失ってしまう、という歌詞。
その様子を、満員列車の息苦しさに喩えています。
このように、「出る杭は打たれる」と言いますが、これ、日本特有の考え方だということをご存知でしょうか?
欧米では「The squeaky wheel gets the grease.(よく鳴る車輪は油をもらえる)」という表現が一般的。
意訳すると、「うるさいほどに自己主張するひとが認められる」ってこと。
君は砕かれコンクリートになった岩のために祈った
出典: http://j-lyric.net/artist/a000611/l004229.html
ここ少し難しいですけど、意訳でいきましょう。
コンクリートというのは砂よりさらに細かく粉砕された泥で出来ています。
これは、まるで岩が砕かれて泥になってしまうように個性の均質化をされた現代人を表現しているのではないでしょうか?
社会の歯車どころか、きれいで無個性で丈夫な地盤、「コンクリート」になってしまうだなんて、過激な比喩ですね。
最後まで付きあおう僕が果てるまで 最高のエンドに辿り着けるから
格好つけて言うわけじゃないけれど ここには僕らしかいないみたい
出典: http://j-lyric.net/artist/a000611/l004229.html
ここには僕らしかいないみたい、とは、そんな時代の絶望に気付き、声を上げる存在が自分たちしかいないということ。
だからこそ、叫び続けようと歌います。