歌詞を読み解くうえで重要なのが、戦友の存在。
この曲は決して1人で戦っている曲ではありません。
疲れて立ち止まる時も、また走り出す時も、自分の隣にはいつも誰かがいるはずです。
家族とも恋人とも違う、戦友。
それは自分にとって一番近い存在のことをいうのかもしれませんね。
君と叫ぶエール
長い夜走り出すから
どうかついてきておくれ
夜明前
三日月にたどり着いたら
君と二つの呼吸を
合わせて叫ぶよ
聞きなれたエールを
いつまでも
3から2、未来へのカウントは
譲れないよ
出典: 夜明前/作詞:松川ケイスケ 作曲:LACCO TOWER
朝日が昇るのも待たずに走り出す。
そんな自分にどうかついてきてと、戦友である「君」に向けて歌っています。
君と一緒に走っていった先は、夜空に浮かんだ三日月。
ここで満月ではなくあえて三日月にしたのは、不完全で何かが欠けている人の心を表したからかもしれません。
1人きりで走っていても、目指すべき場所には辿り着けないでしょう。
私たちは皆、誰かと一緒に生きている。
だからこの曲でも君という存在が必要だったのだと思われます。
1人では不完全な自分たちを表した三日月で、君と声を合わせて叫ぶエール。
それはきっと「頑張れ」とか「負けるな」とか、ありふれた言葉なのでしょう。
しかしそんなごく普通の応援も、戦友の君と共に叫べば特別な力が湧いてくるはずです。
弱い自分との戦い
どうして私たちは毎日を戦って生きなければならないのでしょう?
そもそも私たちは何と戦っているのか。
現実、社会、常識、時代...挙げだしたら切りがありません。
何より、戦っているものは人によって違うはず。
しかし私たちが最も戦わなければならないのは、己の弱さなのでしょうね。
自分を見失わない
ざあざあ降る屑に
拗ねて他の屑の
パーツにはなりたくないの
君が走る度に
汗をぬぐう度に
共にいれるように
出典: 夜明前/作詞:松川ケイスケ 作曲:LACCO TOWER
ここで歌われている「屑」とはいったい何のことを指しているのでしょうか。
雨のように降っているということは、恐らく流されて消えてしまうような存在です。
大量生産された無個性な服。
流行りに乗っかって続出する新しい店。
そしてそういったものを、何も考えずに与えられるがまま受け取っている人間たち。
時代の流れに身を任せていたら、自分もいつか社会を無機質に動かすだけの存在になってしまうかもしれない。
それは人生を放棄することと同じです。
君とこれからも戦友でいたい。
だからどんなに辛く困難な道であっても、自分の意志で歩いていく。
汗を流して努力することが、きっと自分というものを見失わずにいられる唯一の生き方なのでしょうね。
光を追い求める
長い夜を越えて迎えた朝日は、きっと言葉にもならない美しさを持っていることでしょう。
その美しさは、戦って生きている者にしか感じられません。
手が届かないと分かっていても尚、私たちは光を求め、また走り出すのでしょうね。
未来へのカウントを始めよう
長い夜走りぬけたら
明日をつれてきておくれ
夜明前
三日月が見惚れる空へ
君と二つの呼吸を
合わせて歌うよ
聞きなれたエールを
いつまでも
3から2、未来へのカウントは
譲れないよ
出典: 夜明前/作詞:松川ケイスケ 作曲:LACCO TOWER
明日はいつだって夜の向こう側にあります。
世界を飲みこむほどの朝日に、きっと不完全な自分たちは見惚れてしまうでしょう。
その輝きを全身に浴びたなら、また君とエールを送り合います。
そうやっていつだって君と支え合いながら、今日も明日も戦って生きていく。
その覚悟を示すように、未来に向かってカウントを始めます。
カウントがゼロになったなら、君と一緒にまた勢いよく走り出す。
走っている最中に再び真っ暗な夜が訪れても大丈夫。
必ず明日がくることを、私たちはもう知っています。
光を信じている限り、この世界に怖いものなど本当は何もないのかもしれませんね。