「必要」にされたい想い
成長する人はどこか強欲
ファンタジスタって言われてぇよ
夜だけじゃなくて昼も
もう どうしようもなく「必要」って
言わせてやりてぇんだ
出典: 言わせてみてぇもんだ/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
サッカー好きで有名な桜井和寿ならではの言葉「ファンタジスタ」が登場します。
2004年の曲ですから、この頃、盛んに使われた言葉を採り入れるのです。
君との愛を育む夜だけでなく、昼間でも素晴らしい存在だと「言わせてみてぇもんだ」。
君は実際のパートナーを想起して書いたのかもしれません。
しかし歌詞にしてメロディに載せた時点で、この「君」とはリスナーひとりひとりのことになります。
そのリスナーはいつでもMr.Childrenの歌を「必要」としているはずです。
そうした状況があってももっともっと「必要」な存在になりたいと願います。
欲張りなようですが、成長する人は強欲な側面を原動力に育っていくのでしょう。
主人公に私たちの苦悩を重ねよう
これまで桜井和寿の苦悩について触れてきました。
一方でこの主人公に私たちの切実な想いを重ねることもできるはずです。
私たち人間は生まれたからには誰かの役に立ちたいと願う存在でしょう。
社会の中で「必要」とされることがなければ、私たちは自分の存在理由を疑います。
それほどまでに私たちにとって社会性というものは大事な要素なのでしょう。
「言わせてみてぇもんだ」にこれまで桜井和寿の声を聴いてきました。
それだけではこの曲の歌詞を存分に楽しめたとはいえません。
自分の辛い悩みをこの曲の主人公のことばに重ねてみる楽しみ方があります。
桜井和寿のような天才の悩みと自分の小さな悩みを重ねるのはおこがましいなんていわないでください。
誰よりも桜井和寿自身がこの曲の歌詞を皆さんに「必要」とされることを願っています。
積極的に歌詞を自分の境遇に引きつけて読み直してみましょう。
私たちも他の誰かに「必要」とされることを願っているのですから。
天才の足を引っ張らないこと
制作秘話など
どっかの天才をひがんで皮肉を吐いてみても
何にもなりゃしねぇよ どうすりゃいいの?
出典: 言わせてみてぇもんだ/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
制作秘話ですとここで触れられる天才とはドラムの鈴木英哉のことだといわれています。
実際に鈴木英哉はこの曲「言わせてみてぇもんだ」でも見事な演奏をしているのです。
元々、ドラムというパートを担当する音楽家は相対的に少ないもの。
鈴木英哉もアマチュア時代から複数のバンドを掛け持ちしています。
数少ないドラムであり、さらに才能が突出している鈴木英哉の存在。
彼は桜井和寿にとっても羨望の眼差しで見てしまう音楽家なのでしょう。
ただし歌詞の解釈ではもっと普遍的にこのラインを読み解いた方がいいはずです。
私たちは才能がある人を羨むあまり、無駄に陰口をたたくことがあります。
しかし他人の足を引っ張っても社会は一向によくなりません。
ましてや他人の足を引っ張った分だけ自分の評価が上がることなど一切ないです。
さらに自分が放った他人への皮肉によって自身の首がしまるなんてこともあるでしょう。
ならばどうすればいい?
桜井和寿は問いかけます。
彼はその答えを知っているはずです。
懸命に自身を磨き上げてゆく、成長してまっとうな大人になることでしか他人を見返せないのです。
私たちが目指す人間像
意味ある寄り道をしよう
古くからある迷信に見える理想の形
今と昔の同一線上
大切なことなんて きっと知ってんのに
僕らは遠回りをしてるんだね
なら意味ある遠回りを
出典: 言わせてみてぇもんだ/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
自分を磨いて他人に「必要」とされるような立派な人間になりましょう。
そうした理想は昔話やおとぎ話でも語られるような旧くからある教訓でしょう。
私たちはこの教訓の大切さを知っています。
誰でも心の奥底ではこの旧くからある教訓に同意しているのです。
とはいえ私たちは素直にこの教訓に従おうとはしません。
どこかで楽をしたがるのが私たち人間の習性のひとつでもあります。
当然、楽をしていては道のりや目的地というものが余計に遠のくでしょう。
ただ、それでもいいじゃないかと桜井和寿は歌います。
イージーさを許さずに突き進んでいくことも恐ろしいです。
強硬姿勢というものはユーモアのかけらもないもの。
一切の休みも許されない人生など奴隷の生涯と同じです。
豊かな人生というものは寄り道の多様さに比例します。
本当に何もかも無駄だった寄り道などありません。
桜井和寿自身も休養を挟みながらMr.Childrenの活動を続けています。
ドラムの鈴木英哉は桜井和寿の病状を気遣って、自分が休息を取ったりしました。
意味のある寄り道をして、人生を豊かにすることを楽しもう。
このラインが問いかけるテーマは大きいものです。