在日ファンク初期の名曲「きず」
ジェイムズ・ブラウンも真っ青
ジェイムズ・ブラウンへの憧れを直球で日本語化している在日ファンク。
ファンクというものの肉感に訴える要素がリスナーの心をシャープに捉え尽くします。
浜野謙太という類まれなる才能・タレントを中心にして日本をファンク化する彼ら。
日本にいながらにしてファンクを体現するとはどういうことだろうと結成以来盛んに活動中。
そんな在日ファンクの初期の名曲「きず」を紐解いてみます。
「傷というものは人間にとって何なのだろう?」
ノリに任せた熱いファンク音楽なのにしっかりと物事を考えさせる罪な歌詞です。
頑張って生きていると傷が増えるのが人間の性。
逃れようもない人間と傷との共存・依存関係などあれやこれやと考えてみました。
「きず」の歌詞を紹介しながら解説してゆきます。
ジェイムズ・ブラウンの消えない功績
言語に身体性を回復したJB
ジェイムズ・ブラウンの功績は多岐に渡ります。
最も基本的なのはソウル・ミュージックのファンクへの昇華を担ったこと。
ファンクの始祖は様々いるのが実情ですがやはりキング・オブ・キングスといえば彼です。
一方でジェイムズ・ブラウンが人間の言語に与えた決定的な功績も忘れてはなりません。
言語に身体性を取り戻したこと。
ヴォイス=声の楽器化への道筋を拓いたこと。
ファンクやソウル・ミュージックの副産物でもありますが音楽史だけでなく広く文化への貢献をします。
JBが憑依した浜野謙太
そのジェイムズ・ブラウンに日本という風土でなりきってみせるのが浜野謙太です。
今回ご紹介する「きず」においてもジェイムズ・ブラウンの功績を引き継いでいます。
言語は身体性を持ち強靭でボーカルは楽器の一部としてパーカッシブに機能するのです。
この特徴が「きず」の歌詞にも多大な影響を与えます。
言葉ですらメロディや楽音の一部になっているのです。
「きず」の歌詞に「普通の日本語」の性格を期待すると拍子抜けします。
「何だこれ?!」
そんな新鮮な感覚を味わえるはず。
意味内容よりも音の響きに注目したいです。
ただしそれでは歌詞の解釈にはならないのでゆっくりと丁寧に解説します。
前置きが長くなりました。
それでは歌詞を見ていきましょう。
傷の始まり
憧れのアイテム「包帯」
きず 化膿止めでもダメみたい
きず ならばガーゼでホーミタイ
ずき 寝ても覚めてもなおらない
きず 憧れのその包帯
出典: きず/作詞:Kenta Hamano 作曲:Kenta Hamano
作詞作曲は浜野謙太です。
歌詞を読んでいただくとお分かりでしょうがナンセンス極まりない内容。
それでも最後までお付き合いいただければ実りのあるお話になります。
歌い出しで起承転結の「起」。
まずは傷ができたようです。
薬で膿を抑えても敵わない。
ガーゼごときでは何にもならないだろうけれどタイトに縛ってみる。
憧れのアイテム「包帯」登場という「きず」の始まりです。
この歌詞は「読む」というよりも「感じられたい」ためにあります。
音韻に拘り抜いたのはもちろん音楽のためです。
シャウトともに吐き出しやすい音声の言葉が選ばれます。
ファンクでは言葉は大事なパーカッションです。
傷人間の誕生
メンタルにも「包帯」でアピール
アピアピ アピールしたいなら きず人間
たびたび 思い出す憧れのその包帯
いくさ、刀きず、弾痕だけじゃしょうがない
心、きずついた被害者na きず人間
出典: きず/作詞:Kenta Hamano 作曲:Kenta Hamano
傷を負うことをアピールしたいという気持ちは少し分かるような気がします。
非日常の感覚を得られて「私、可哀想」という外観になる。
アウトローにとって傷は「持つもの」です。
脛に傷を持っているなどの慣用句がありますが、傷が「ある」とも傷を「持つ」とも表現します。
これは「TO BE(あること)」か「TO HAVE(持つこと)」かの人生観の違いとも触れ合う話題です。
傷を持つことを誇らしげにする人は傷そのものへの所有欲みたいな不健全な欲望に取り憑かれます。
また「きず」の歌詞の中ではもっと昨今にありがちな事柄が歌われるのです。
身体に銃痕を持つだけでは全然足りないのだと。
心が傷ついていることをアピールしたいのだとハマケンは歌います。
憧れの傷人間であると全世界に知らせたいのです。
傷ホルダーの欲は非常に危なっかしいので全部無視したくなる心境になります。
しかし実際にそうして他者の傷を無視すると冷たい人といわれそう。
いい人の仮面をも持ちたい私たちは傷を負った人には優しい素振りをします。