「いつも ここにいたよ」ってさ 笑う声が悲しくて
そばにいたいと願えば願うほど 視界からは外れてて
「いつも ここにいたよ」って
そう それはまるで泣きぼくろ
だから きっとこれからは毎朝
起きてさ 確かめるから
出典: ものもらい/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
「いつもここにいたよ」という声は、自分の内面、自分の中の自分から発されるメッセージと考えることができます。
「そばにいたい」というのは自分自身を見失いたくないという願いです。
しかし、そう「願えば願うほど」遠ざかってしまって、体はここにあるのに、心はすぐに見えなくなってしまう。
それを象徴するのが「泣きぼくろ」です。
目のすぐ下にいつもあるのに、意識しないと見えない。
泣きぼくろは自分自身を表しています。
自分自身は自分では意識しないと見えないからこそ、確かめる必要があるのでしょう。
「君」の喪失
「君」の不在がもたらす不安
いつだってここにいた 君の姿かたち
どんなって言われても もう分からないほどに
何かを探すのにはいつも使うくせに
いつかなくなるなんて考えもしなかった
出典: ものもらい/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
「いつだってここにいた」という過去形で表現される「君」の存在は、おそらく大切な他者の存在と考えることができます。
大切な人が一緒にいるときは、その人を通して自分自身を探し、見つけることができていたのかも知れません。
その人の喪失で自分自身をも見失ってしまうほど、大きな存在であったことが分かります。
もはや自分の一部と化していた「君」
わざわざ 広い世界の中から
僕の胸のここのところ 心の鼓動から
2センチかそこらのところを お気に入りの場所に
選んでくれたから だからこそ
もはやそれは僕の一部と
思い込む 脳に罪はないと思う
出典: ものもらい/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
「心の鼓動から2センチかそこらのところ」とは心臓よりも体の中心に近い、胸の真ん中です。
そして、「君」の存在は体の中心でもあり、心の中心でもあるとも考えることができます。
体と心の中心にいた「君」は、「もはやそれは僕の一部」とも思えるほど大切な存在だったのでしょう。
心臓や肺が体の中にあるのと同じように、「君」の存在は当たり前のように「僕」の一部になっていたのです。
「君」の喪失は「僕」にとって精神的なショックはもちろん、体の一部を失うような圧倒的な喪失感を与えました。
「君」のいた過去から「君」のいない今へ
いつだってここにある 弱音や、迷い、愚痴を
隠したってバレるならと 見せびらかすけど
いつからかこの僕を 覆い隠すほどに
本当の姿など 見る影もないほど
出典: ものもらい/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
ここで時間は「いつだってここにある」と現在形に戻ります。
「弱音や、迷い、愚痴」という自分の弱い部分が、自分の本当の姿が見えなくなってしまうほど膨れ上がります。
自分の弱さに飲み込まれてしまうのではないかという不安感が募ります。
また、同じく現在形で描かれた曲の冒頭でも自分自身を見失うことを恐れています。
「君」を失った現在の「僕」は自分という存在に対する確信が薄れてしまっているのです。
「君」と出会い「僕」と出会う
この眼で この腕で 君のこと見つけたんだよ
そして君で 君の手で
ねぇそうだよ僕は僕の形が分かったよ
僕は僕と はじめて出会えたの
出典: ものもらい/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
この部分は、他の部分とメロディーや雰囲気が少し違います。
短い歌詞の中に「君」と「僕」という言葉がたくさん使われています。
今まで確信が持てなかった自分自身の存在、でもここで「この眼で この腕で」、つまり自分自身で君を見つけます。
そして「君で 君の手」で これまで見失いかけていた「僕」を見つけるのです。