『音楽ワルキューレ』から引き継ぐのが『音楽ワルキューレ2』?
2010年にリリースされた『音楽ワルキューレ』はその頃のDOTAMAの周囲の環境や音楽への思いなどが伝わってくる曲でしたが、音楽不況に勝つか負けるかが分からないという問いかけで終わっていました。
もう少し詳しく言うと、音楽不況の中での表現をどうやってしていくのかを模索しつつ、この『音楽ワルキューレ2』にいたったと言えます。
一方で、今ではTwitterやFacebookといったソーシャルネットワークサービス(SNS)により『音楽ワルキューレ2』でわざわざ音楽不況を主張するまでもない中、どういった主張をしているのでしょうか?
「音楽不況」を歌い、恐れるDOTAMA?
2020年のオリンピック間近となり、景気も上向きになっているかと思いきや果たして音楽はどうでしょう?
先行き不安な音楽業界?
let'sgo
音楽不況に殺される
音楽不況に脅される
音楽不況が追ってくる
と思ったが結構大丈夫
音楽不況に殺される
音楽不況に脅される
音楽不況が追ってくる
と思ったが意外に大丈夫
出典: 音楽ワルキューレ2/作詞:DOTAMA 作曲:Fragment
歌詞自体には悲観的な部分も多いですが、聞き取りやすくて明るい声質、そしてギターやピアノでもない変わったバックミュージック!
歌詞の冒頭から『追ってくる』恐怖から始まって『脅され』てしかも『殺される』という恐怖観念が印象的な内容です。
曲を聴くとそんな暗さは無いのも特徴的なのですが、「なんだなんだ!?大丈夫か?」と思うのも束の間、
『結構、意外に大丈夫』と、DOTAMAたちも予想できない音楽業界に安堵しているかのようですね。
その後も、先行きがまったく分からないのは音楽業界だけでなく、時代として全体的に分からないことだらけという思いも伝わってきます。
今のご時世に悲観的に?
結果が見えない時代です
そのご意見はしたためる
ちぐはぐながら磨くテク
僭越ながら自在です
音楽に女神はいるの?
YES 存在するけど
救うためじゃない
俺の処刑の執行に彼女が再来
エクスキューション
エクスキューション
女神が俺をエクスキューション
出典: 音楽ワルキューレ2/作詞:DOTAMA 作曲:Fragment
歌も音楽もツギハギのように技術を高めて来た中で、女神が救ってくれるのではと期待するのはお門違い。
女神は救済するのではなく、裁きに来るというのが『エクスキューション』という意味につながる部分です。
「execution=実行、死刑執行」という意味を持ち、つまりは「殺される」という強迫観念がまたもやDOTAMAを悩ませます。
神頼みだと思うことは多くても、まさか自分を追い込む存在になると知ってしまうとかなり恐ろしいでしょうね…。
DOTAMAという人物とは?彼を紹介する歌詞へ
音楽全般の話題から歌い手であるDOTAMA自身への話も歌われている内容となっていきます。
予防線ともとらえられる?
ミュージシャン歴は何年?
脱サラしてからは3年
マインドサラリーマンラッパー
MC DOTAMAと申します
「音楽で食いたい」のみは勘弁
と思って自己表現
やりたい事やれてるけど
滑って転んで起きての活動です
カツカツで生き残って安定?
してるか分からんが前列
のお客様楽しませ
歓声呼び起こすための精進です
出典: 音楽ワルキューレ2/作詞:DOTAMA 作曲:Fragment
ミュージシャン歴が何年あるかと考える中、『脱サラしてからは3年』と答えているのは、その3年はミュージシャンだったかどうかに強い自信は持っていないのでしょうか?
というのも、その後の『マインドサラリーマンラッパー』と言っているので…やっぱり「本物のミュージシャンほどではないから」というニュアンスも感じ取れますね。
謙遜ととるか、気弱ととるか、それとも失敗した時の予防線と思うか…彼らの行方次第ですね。
七転び八起きのドタマの人生において、観客を楽しませる音楽活動に対して真摯に向き合っていると感じる一文。
食べていくだけの「仕事」として音楽の道を進むのではなく、苦労をしつつギリギリの綱渡り状態な不安定さでも音楽を追求する熱意を感じます。
今のご時世と合った歌
攻めに攻めた歌詞でもあるのが『音楽ワルキューレ』だったと振り返り、今の世の中にはピッタリではないかと問いかけていますね。
入り乱れた情報や情勢と世界観…。混ざりあった時代を表しているように思えます。