ここでも、君と僕の男女の愛が歌われているように見えます。

ただ気になるのが繰り返し歌われる「世界中」のフレーズ。

「世界」という壮大なスケールの中で、君を探して見つかって繋がっていく「キセキ」。

もしかすると、君という存在は、恋愛対象としての恋人だけではなく、出会うことによって僕が変わっていく存在・・・

すなわち、僕が関係し、影響を受ける多くの人びとと繋がっていくことで、また新たな出会いがあり、更に繋がっていく・・・ 「世界」という横軸(=距離)に、そんな意味がこもっているのではないか?と解釈してみました。

世界中で君と出会って 抱き合って 愛が生まれて
そうやって繋がって続く 愛のキセキ
あの日のソビト 君に誓うと 振り返ると君が笑うんだ
探して 出逢って 気付いて
さぁ 歩きだそう 

出典: ソビト/作詞:GReeeeN 作曲:GReeeeN

ラストでは、壮大な世界観とも思えるフレーズが出てきます。

そこに、「難しいことで溢れた1000年前の世界」「最後の1秒」「時を超える」という紐解けなかったフレーズを解くカギがあるような気がします

すなわち、ここで歌われているのは、「時代(=時間)」という縦軸なのではないでしょうか。

世界中で君と出会って、抱き合って、愛が生まれて繋がっていくということは、すなわち子孫が繋がって時代が繋がっていくこと

ここで、「難しいことで溢れた1000年前の世界」の意味をもう一度紐解いてみれば、1000年前に愛が生まれたからこそ、1000年後の今のぼくらが繋がっている・・・そんな感じに受け取ることもできます。

そして最愛の人と「最後の1秒」まで一緒にいた時間も、たとえその人がこの世からいなくなったとしても、そうやって繋がっていった子孫は、時を越えて生き続ける・・・。

もっと身近なことをいえば、父と母が出会ったからこそ、元気だったからこそ僕が存在する。

映画「キセキ」では、音楽に反対する厳格な父に対して反発する兄ジン、そして父に従いながらも音楽を目指す弟ヒデが描かれていますが、どんな親子であっても子を愛し、命を与えてくれた親に感謝する・・・

そんなメッセージが込められているのかもしれません。 そして、あの日の「ソビト」は、素人っぽさをもちながら自由な発想を持っていろんなことにチャレンジしていく人たち、そう、「キセキ」や「ソビト」といった歌を歌い続けるGReeeeNそのもの。

そんな「ソビト」であるGReeeeNが、アーティストとして歯科医として、二足のわらじを履きながらやっていくことを誓った10年前を振り返ると、笑って認めてくれたいろんな人がいるからこそ、自分たちがいる。

(音楽に反対していたジンとヒデの父もそのひとりといっていいでしょう) だからこそ、また、新たな繋がりを探して、GReeeeNは歩き続けていく・・・そんな決意の歌というふうに解釈してみました

「キセキ」と「ソビト」から読み解く、GReeeeNのいままで、そしてこれから・・・

本当の「キセキ」GReeeeNの「ソビト」に込められた歌詞を読み解くの画像

実は、この「ソビト」は、10年前からGReeeeNが温めていた曲なんだそうです

ということは、この「ソビト」は、曲「キセキ」と同じ頃につくられた、映画「キセキ」でメンバーが奮闘していた時期と重なるわけです。

似たようなフレーズがあることからもわかるように、「キセキ」と「ソビト」は、同じ世界観で創られた歌なのかもしれません。

GReeeeNの曲は、一般的な男女の「恋愛」を歌っているカタチをとりながら、実は、恋愛を含めたさまざまな「愛」のカタチを歌っていると思われる曲が存在します。

この「キセキ」「ソビト」も、「兄弟愛」であったり、「親子の愛」であったり、「メンバー愛」であったり、さまざまな「愛」のカタチを、「男女の恋愛」に例えて歌っているような気がします。

そして、「キセキ」「ソビト」で歌われているのは、『世界』という横軸と『時代』という縦軸の大きな「セカイ」の中で、ちっぽけだけど、その「セカイ」を超えてみせようとするぐらい、素人的で自由な「ソビト(=GReeeeN)」の物語といってもいいのかもしれません。

GReeeeNの「キセキ」誕生までのストーリーには様々な意味で、本当の「キセキ」がありました

詳細は映画をみていただくとして、デビューしてから10年経っても変わらないGReeeeNが、これからどんな活動をして、どんな曲をプレゼントしてくれるのか、とても楽しみです。

いつまでたっても「ソビト」である彼らにこれからも期待していきたいと思います。

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