日本フォーク界のビッグネーム、吉田拓郎が作詞作曲
各分野に根強いファンを持つ、息の長いフォークの御大
1970年代は、個人またはグループでフォークソングを歌うアーティストが乱立した、空前のフォークブーム。
それ以前、1960年代のフォークソングは、反戦を訴えたり、権力を批判したりする社会告発やメッセージがテーマで、岡林信康、小室等、高田渡、加川良などが活躍。
それが1970年代になると、歌われる内容が自分自身のこと、生き方のこと、恋愛のことというようにパーソナルなものに変化。
多種多彩なシンガーやバンドが登場してきたが、中でも人気だったのが「たくろう」「ようすい」「こうせつ」。
みな4文字なのが特徴で、吉田拓郎(よしだたくろう、というひらがな表記もあり)、井上陽水、「かぐや姫」の南こうせつがその3人。
中でも吉田拓郎は熱心なファンが多く、その曲に強く影響を受けた、という人がファンやミュージシャンだけではなく、文化人や政財界人などにも多い。
1973年に発表された「たどり着いたらいつも雨ふり」は、そうした拓郎ファンの心を揺さぶる名曲です。
ザ・モップスの鈴木ヒロミツに頼まれて出来た名曲
グループサウンズ・ブームのあだ花、ザ・モップス
しかしこの曲を歌ってレコーディングしたのは吉田拓郎ではなく、当時、日本初のサイケデリック・バンドとして売っていたザ・モップス。
どうして吉田拓郎が自ら歌わなかったのか?
それは、この曲、そもそもザ・モップスのリードボーカル、鈴木ヒロミツが吉田に頼んで作ってもらった曲だったから。
ザ・モップスがアルバム制作中、曲が足りなくなったので、吉田と旧知の仲だった鈴木が電話して依頼。
吉田拓郎はかつて作ってプールしていた曲を、作詞し直してザ・モップスに提供。
その曲の最初のタイトルは「好きになったよ女の娘」でタイトル同様にナンパな内容の曲だった。
それをザ・モップスのバンドイメージに合わせて、“荒くれた人生を生きてきて、それに疲れている男の述懐”というふうに歌詞を改めた。
こうして「たどり着いたらいつも雨ふり」は誕生。
これが当時のシラケ世代の若者達に受けてヒット。
ザ・モップスの曲では最高のヒットになります。
ザ・モップスは、1960年代に盛んだったグループサウンズ・ブームの最終ランナーで、バンド名はメンバー5人のモップのようなヘアスタイルから命名。
カラフルなデザインの刺繍&プリント柄のだらーんとした上着にグラサンといった、サイケデリック風な奇妙キテレツな衣装で演奏。
その演奏スタイルは当時流行のフラワームーブメントを模倣したもの。
テレビのヒーロー物の走り「月光仮面」の主題歌をアレンジした「月光仮面」など異色なナンバーを発表して、一目置かれていました。
鈴木ヒロミツがアニマルズのエリック・バードンのファンだったため、バートンばりに吠えるように歌った。それがとても個性的だった。
そんな野性味たっぷりの歌い方が「たどり着いたらいつも雨ふり」にビッタリはまった、というわけ。
当時のシラケ世代の若者にアピール
清貧でナンパな風潮を一喝する雄叫び!
シラケ世代とは、1960年代に全国で燃え上がった学生運動が挫折して、その運動に疲れ、また運動を嫌って逃避した1970年代初頭の青年層のこと。
後ろ向きで、ニヒリスティックで、自暴自棄で、暗い……。
こうしたシラケた若者達は、革命思想や政治的なことにかかわることを避け、それに疲れ切って、うつろに生きていました。
こうした流れの中から、かぐや姫の「神田川」に代表される“四畳半フォーク”という、清く貧しく生きる姿を歌ったジメついたフォークの流行が起こってきます。
貧乏な男女が肩を寄せ合って生きていく、またはその日常を大切にしよう、というささやかな幸せを望む傾向。
「神田川」は1973年9月20日にシングルリリース。
「神田川」より1年前に発表された「たどり着いたらいつも雨ふり」は、後に始まる軟弱でナンパな「神田川」ブームに対する、硬派フォークの最後の抵抗のようにも思えます。
軟弱な四畳半フォークをけっ飛ばすかのように、うっ屈した心情を叩きつけています。
そこがチョー気持ちいい!
吉田拓郎らしい、実感のこもった自省的な歌詞
男は何に疲れているのだろう?
この曲をめぐる時代背景が頭に入ったところで、さっそく歌詞をみていきましょう。
疲れ果てて いることは
誰にもかくせは しないだろう
ところがオイラは 何のために
こんなに疲れて しまったのか
出典: たどり着いたらいつも雨ふり/作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
鈴木ヒロミツが野太い声で歌うので、どうしてもこの曲の主格は男性に思えてしまうのですが、女性でもいいのです。
仮に男性とすると、この男は何に「疲れ果てている」のでしょうか。
それは先に書いた、それまで自分がやってきた学生運動や無軌道な生き方の「疲れ」なのでしょう。
この時代から40年以上も経っているので、こうした説明がいりますが、当時の若者達には、この「疲れ」の意味がストレートに心に届いたはずです。
また、そうした学生運動の挫折うんぬんを知らなくても、傷つきながら生きてきたすべての人にズバリはまる歌詞の出だしではないしょうか。
歌詞よりも曲頭のエレキギターのバババババババア~ン♪ という響きが快感。
作曲も手がけた吉田拓郎は、このザ・モップス盤のエレキのイントロを聴いて「イケると思った」と語っています。
今日という日が そんなにも
大きな一日とは 思わないが
それでもやっぱり 考えてしまう
あゝ このけだるさは 何だ
出典: たどり着いたらいつも雨ふり/作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎