たとえば泣いてみろよ こっちはそれすら笑えるさ
君がライトで照らしてくれた 暖かくて寒気がした
光の向こうの君の姿が 僕には見えないと知った

出典: 太陽/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

ここで初めて「僕」以外の登場人物「君」が現われます

光の無い世界にいる「僕」を「君」がライトで照らします。

ライトという光で照らされる闇の住人である「僕」。

光で照らされていると、その向こうの「君」が見えないと「僕」は知ります。

同時に、光を得ても今抱えている孤独感や絶望感は消えないのだと「僕」は知ったのです。

そして「僕」の抱える絶望感は更に深まっていきます。

「かくれんぼ」が意味するもの

【BUMP OF CHICKEN/太陽】歌詞の意味が難しい!比喩の多い歌詞が伝えたいのは絶望?!の画像

ひたすら待つ「かくれんぼ」

かくれんぼしてた 日が暮れてった
見つからないまま 暗くなっちゃった
皆帰ってった ルララルララ
かくれんぼしてた ずっと待ってた

出典: 太陽/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

「かくれんぼ」で隠れる時、誰もが見つけてもらうことを前提に隠れます。

主人公も、誰かが自分を見つけてくれることを願い、今の暗闇で待っています。

けれど、時が経ち「日が暮れて」も誰にも見つけられることのないまま暗くなってしまいます。

いつまでも誰かが見つけてくれることを待つ主人公。

今いる「窓の無い部屋」はこのかくれんぼで隠れた場所なのかも知れません。

誰かに見つけてもらうことを願い、自ら暗闇に隠れたのです。

ところが、皆は自分がまだ隠れていることを忘れ帰っていきました。

主人公は暗くなっても誰にも見つからないまま、それでも待ちます。

自ら声を上げることも無く、誰かが見つけてくれるのをひたすら待っているのです。

比喩としての「かくれんぼ」

「かくれんぼ」は孤独を感じている僕の他者への希望の比喩と考えられます。

「僕」を“本当の自分”と解釈します。

すると、「窓の無い部屋」は「僕」の内面にある闇です。

他者から拒否されることを恐れ本当の自分を隠します。

しかし、本当は誰かが見つけてくれることをずっと待っていました。

そこにはありのままの自分を受け入れて欲しいという切実な願いがあります。

「僕」は誰にも見つからないまま待っています。

「僕」は自分の殻に閉じこもっているのです。

他者と分かり合えるわけがないという孤独感を感じています。

自分から「ここにいるよ」と声を上げることはしません。

そこには、見つけてくれたとしても受け入れられないのではないかという不安が表われています。

「君」がくれた勇気

永遠に閉ざされた光

君のライトを壊してしまった 窓の無い部屋に来て欲しかった
それが過ちだと すぐに理解した
僕を探しに来てくれてた 光の向こうの君の姿が永遠に見えなくなってしまった
それが見たかったんだと気付いた

出典: 太陽/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

「君のライト」は「僕」を照らす唯一の光でした。

その唯一の光を失って初めて、「君」が「僕」を探しに来てくれていたのだと気付きます。

「窓の無い部屋」とは「僕」の絶望感などの心の闇を表す比喩と考えられます。

そして「君」とはつまり、光であり希望を指します。

絶望の淵にいる自分を「君」に見つけて欲しいと「僕」は願っていました。

最後の光が閉ざされた今、それが最後の希望であったのだと「僕」は理解したのです。

最後の光を自ら拒み、永遠に光が閉ざされてしまった絶望感に打ちのめされます。

「君」を待つかくれんぼ

かくれんぼしてた 日が暮れてった
見つからないまま ずっと待ってた
皆帰ってった ルララルララ
かくれんぼしてた 君を待ってた

出典: 太陽/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

ここで2度目のかくれんぼの描写です。

繰り返される「ずっと待ってた」「皆帰ってった」という言葉が切なさを増幅させます。

1度目のかくれんぼの部分と違っている部分があります。

「僕」が待っていたのは「君」だということです。

この「僕」の気付きはこの曲の流れを大きく変えることになります。

それまで漠然と暗闇の中で、誰かが見つけてくれるのをじっと待っていた「僕」。

しかし、自分を見つけるのは誰でもいいわけではなく、「君」しかいないと気付くのです。

「僕」を見つけられるのは「君」以外の誰でもありません。

かくれんぼをしたのは、「君」に見つけてもらう為だったのです。

「皆帰ってた」と思っていたけれど、「君」は「僕」を見つけていました。

「僕」を見つけた「君」はライトで「僕」を照らします。

それこそが自分の求めていた希望だと気付いた時「僕」の意識は初めて部屋の外へ向かうのです。

外界を目指す選択