首都へはばたくまで
シャ乱Qの始まり
つんく♂(ボーカル)
はたけ(ギター)
まこと(ドラムス)
たいせい(キーボード)
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/シャ乱Q
加えて、結成当時からデビュー後しばらくは「しゅう(ベース)」がいましたが、1998年12月に起こしてしまった事件により脱退しています。
また、しばらく活動休止していたバンドが再始動するという2006年の発表時に、それまで「たいせー」という表記だったキーボードが「たいせい」表記に変えるということも告知されました。
これは他のメンバーもその場で初めて聞かされたらしく、とても驚いたようです。
名前と言えば、ファンや同じバンド世代を過ごしてきた人の間ではよく知られていますが、その風変わりなバンド名の由来もなかなかに個性的。
「シャ乱Q」の名前は、メンバーが所属していたアマチュアバンドの名前「シャッターズ」(しゅう、まことが所属)「RAM(乱)」(つんく、しゅう、たいせーが所属)「QP(キューピー)」(はたけが所属)を寄せ集めたもの。当初は「シャ乱P」という名前にする予定だったが、当時活躍していた女性お笑いコンビ・おきゃんぴーを連想させる、として最終的に「シャ乱Q」となった。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/シャ乱Q
……と、このような経緯があったのです。
新しくまったく別の名前を考え出すのではなく、それぞれが歩んできたそれまでの音楽を重んじるようなこのエピソードには、なんだかあたたかい気持ちになりますね。
スタート地点は城?!
そんなシャ乱Qの出発点は、彼らと前後するくらいの年齢層の、バンド好きな関西人には非常に親しみ深い場所である、大阪城公園でのストリートライブだったとも言えます。
大阪城公園のとある通りは当時、関西のアマチュアバンドの多くがストリートライブを行う有名地帯。
東京ではおなじみだった「ホコ天」にちなんでと言うのか挑んでと言うのか複雑ですが、そこは通称「城天(しろてん)」と呼ばれていました。
結成したばかりのアマチュアで、ライブハウスも借りれないような無名かつお金のないバンドが、この通りにズラリと並んでそれぞれの音楽を発信していたものです。
公園内の通路ですから、当然電源はありません。
ゆえにアンプなどもなし。
その後、発電機を持ち込んで小さめのスピーカーに繋いで音を出すバンドが現れたりもしましたが、あくまで公共の場であるため、騒音にならない程度に気を付けなければなりません。
しかも、特にバンド用に区画整理がされているわけでもないので、隣のバンドとの距離感は暗黙の了解のような状態。
お互いに邪魔をしないように気を遣いつつも、どのバンドよりも目立ってやるという野心を抱いてそこに集まっていました。
そこから有名になったアーティストも少なくないため、その後の若い世代のバンドマンたちの憧れの場所にまでなったとか。
バンドブームも相まって、興味本位で立ち止まって聴いていくギャラリーも多く、演奏する場所が確保できないバンドもあったほどでした。
今から振り返れば、そんな状況で喧嘩や乱闘騒ぎが起きなかったのが不思議なくらいですが(まぁ、小競り合いくらいはあったのかも知れません)、それほど純粋に音楽をやっていたんですよね、みんな。
アコースティック・ギターで弾き語り……などならともかく、弦を弾いたり太鼓を叩いたりして音を出すのが「ロックバンド」ですから、ここでの体験は貴重で楽しいものだったのではないでしょうか。
今でもつんく♂が曲作りなどで主にアコースティック・ギターを愛用しているのは、この当時の思い出や原点があるからかも知れません。
我慢の日々が続いて
最後の賭けに出る
1992年7月にメジャーデビューを果たしたシャ乱Qですが、その当時は多くの芸能事務所が所属先を巡って争奪戦が勃発したそうです。
それほどインディーズ時代から注目されていて、「売れる!」と思われていたのでしょう。
しかし、3枚のシングル曲をリリースし、タイアップもついていたものの、デビュー後2年近くの間はほとんど売れませんでした。
そして1994年にシャ乱Qが、「これが売れなかったら最後」という気持ちで臨んだ4枚目のシングル曲である「上・京・物・語」で大当たりします。
もちろん必死に売り込みをした結果なのですが、その後に6枚目のシングル曲であり、今や世代を超えて愛され歌われている「シングルベッド」がロングセラーでミリオンを突破。
続いて1995年5月にリリースされた、シャ乱Qの7枚目のシングル曲が、今回じっくり聴いてみたい「ズルい女」なのです。
最初に少しまことのコメントが入っていますが、1分くらいすれば楽曲が始まります。
だからコメントも聞いてあげて(笑)。
バンド史上最高
既に結成から四半世紀が経つシャ乱Qにとって、最大のヒット曲となったこの「ズルい女」で、〈第46回NHK紅白歌合戦〉に初登場も果たしました。
関西から生まれたバンドでは、シャ乱Qが第一人者だと言われるほどの大ブレイクぶり。
彼らがリリースしているベストアルバムのほとんどに収録されています。
それほど思い出深い楽曲であり、またファンも求めていたからなのでしょう。
ベストアルバムに「ズルい女」が入っていないなんて、そんなの全然「ベスト」じゃないですから。
また、興味深いエピソードもあります。