indigo la Endの魅力が詰まった「夜汽車は走る」

【夜汽車は走る/indigo la End】歌詞解釈!やるせない想いを乗せて…終わりを待つ恋の行方はの画像

誰かに恋をして傷ついて、息苦しさにもがく人間の心境を紡ぐindigo la End

川谷絵音が描く世界は「ただの恋愛」なのに、なぜこんなにも「唯一」なのでしょうか。

おそらく、彼が歌う恋愛の苦しみはリアルだからなのでしょう。

リスナーの同情を誘うような「綺麗な失恋ソング」は世の中にあふれています。

しかし、indigo la Endの世界観はそれで終わりません。

悲しみや切なさから生まれる、「怨念」にも似たどす黒い感情までもが克明に描かれているのです。

それを透明な声でさらりと歌い上げ、爽やかな音色で支えるindigo la End

追いつくバンドはまだまだ現れないでしょう。

「夜汽車は走る」をピックアップ

【夜汽車は走る/indigo la End】歌詞解釈!やるせない想いを乗せて…終わりを待つ恋の行方はの画像

indigo la Endのアルバムとしては最高位のオリコンチャート7位を記録した人気アルバム「幸せが溢れたら」

全11曲収録のアルバムから、今回は「夜汽車は走る」歌詞をご紹介します。

女性目線で歌われる切ない恋の歌、で終わらないのがindigo la Endの楽曲です。

「夜汽車は走る」の歌詞にはどんな「リアル」が描かれているのでしょうか。

目を背けたくなるような本音が埋め込まれた「夜汽車は走る」の世界を紐解いていきます。

「夜汽車」だからできること

なぜ「夜汽車」という言葉を選んだのでしょうか。

これが「電車」では曲が成立しないようです。

自分から一歩を踏み出さない「私」

降り出す前一瞬の
冷たい風に言った
「寂しいの。だから少しだけ話を聞いて」って

出典: 夜汽車は走る/作詞:川谷絵音 作曲:川谷絵音

そろそろ雨が降る、と気づくきっかけは何でしょうか?

どこかかび臭いような空気や、急に冷たくなった風は、雨の前触れを感じさせます。

「私」は雨降り直前の冷たい風に本音をこぼしました。

風が吹くのは一瞬で、すぐに雨が降り出します。

風に本音を乗せても、雨粒がそれを叩き落とし、水に溶けて流れていくでしょう。

これでは「私の気持ちを分かって欲しい」という本音が、「あなた」に届きません。

しかし、本音が届けば迷惑がられ、寂しさは解消するどころか膨らむかもしれません。

彼女の目的は「伝える」ことではなく、自分の感情を認めることなのではないでしょうか。

寂しいから、まだ諦めなくてもいい。話を聞いて欲しいから、会いたいと思ってもいい。

行き場をなくした感情を開放する彼女なりの方法だったのかもしれません。

夜が少し近付く度
あなたのことが浮かんだ
どうか私を連れ去って走ってよ

出典: 夜汽車は走る/作詞:川谷絵音 作曲:川谷絵音

大人同士の恋愛であれば、夜に会うケースが多くなります。

だからこそ夜が訪れると必然的に彼との思い出が蘇るはずです。

また、昼に比べて夜は窓の外が暗く、車の音や人々の生活音も静まります。

暗くて静かな部屋に、まだ慣れないひとりきりの空気。彼を思い出してしまいます。

この部屋から抜け出して、今すぐにでも彼の元へ行きたいと思うのは当然でしょう。

しかし彼女は「連れ去って」「走ってよ」と言います。

現状を変えたいと思うのであれば、自ら部屋の外に出て彼の元へと走ればいいのです。

なぜか自分から動こうとはしません。他力本願と言えるでしょう。

彼女は、きっと動けないのです。どうやって行けばいいのかも分かりません。

本当は迎えに来て欲しいのでしょうし、会いに行って拒絶されるのは恐怖です。

そこで彼女は、とある乗り物に頼りました。

「夜」で「汽車」である理由

ただ夜汽車は走る

出典: 夜汽車は走る/作詞:川谷絵音 作曲:川谷絵音

電気の力で走る電車を「汽車」と表現する人もまれにいますが、汽車は本来「蒸気機関車」を意味します。

「夜汽車」は夜間に走行する蒸気機関車です。現代の夜行列車ですね。

なぜこの曲では「電車」ではなく「夜汽車」を用いたのでしょうか。

夜汽車や夜行列車と通常の列車の違いのひとつとして、走行距離が挙げられます。

夜行列車は寝台車が設置されている物も多く、乗客が眠っている間にかなりの遠距離を走ります。

停車駅は多くありません。

彼女は、彼の元へは夜汽車でなければ辿り着けないと考えたのではないでしょうか。

彼の心がかなり遠く離れてしまったのだと自覚しているようです。

寄り道せずに彼の元に最短距離で行きたいから、停車駅が少ない「夜行」である必要があるのでしょう。

では「電車」ではなく「汽車」を用いたのはなぜでしょうか。

電車の動力である「電気」は、架線を経由して供給されています。

架線が繋がる場所でなければ電車は走行できません。

一方汽車は、車内で燃料を燃やして蒸気を作り出し、それを動力として走ります。

架線は必要なく、汽車そのものだけで走行することができると考えられます。

ということは、汽車のほうが自由度が高いわけです。

正攻法で彼に会いに行かずとも、少しずるい方法や、裏道を使うことも可能だと考えられます。

とにかく、どうにかして彼に会いたい。その気持ちが「夜汽車」のひと言に詰まっています。

あなたの頬を触るまで
もう一度触れたら諦めるから

出典: 夜汽車は走る/作詞:川谷絵音 作曲:川谷絵音

頬を触ることへのこだわりがあるようです。

諦めるためには頬を触らなければいけないのは、なぜでしょうか。

何かの機会に彼の頬に触れた記憶が、彼女の中に「後悔」として残っているのかもしれません。

例えば、彼の頬をビンタしてしまった、切りつけてしまった、などが挙げられるでしょう。

後悔を消化するためにはもう一度彼の頬に、今度は優しく触れたいのです。