時速36kmはロック・バンドとしてオーディエンスの前に立ちます。

そこではスポットライトを浴びながら熱いギター・ロックを響かせる英雄です。

しかしステージに立つには相応の努力をしています。

毎日必死で人間的な生活水準に満たないような生活環境で喘いでいるのです。

タイトルの「動物的な暮らし」とは憲法で保証された健康で文化的な暮らしの水準以下のこと。

実際にはこの場合、生活保護などの公助のサービスを受けることができます。

しかし長引く不況の中で社会の底辺での足の引っ張り合いが起こっているのです。

生活保護バッシングなどの現象が日本社会で生まれました。

日本人は優しいという神話が崩れて弱者があたかも特権を得ていると認識します。

「動物的な暮らし」とは生活物資という物質面のみならず精神面にも言及したものです。

弱者同士の足の引っ張り合いをよそ目に為政者は責任を免れてぬくぬく暮らす構造ができあがりました。

上級国民という言葉もすっかり定着しています。

格差社会の到来はどの資本主義国でも起こっている現象です。

しかし日本での苛烈な格差社会の到来は未曾有の規模だと指摘されます。

仲川慎之介はこうした格差社会の下層の方で生きる人の気持ちを歌にするのです。

ロックンローラーですから華々しく見えることもあるでしょう。

しかしその生活の局面は必死じゃないと生き抜けないものです。

グロテスクさまで滲む現況

時速36km【動物的な暮らし】歌詞の意味を解釈!なぜ世界の果てに気付かない?必死に今を生きる理由とはの画像

思い出に負けないような日が来るまで生きる

出典: 動物的な暮らし/作詞:仲川慎之介 作曲:時速36km

思い出の中の数々のロック・スターと自分の現実を照らし合わせているのでしょう。

もしくは両親の庇護のもとに安全に暮らしていた学生時代の思い出かもしれません。

とにかく現実の自分の姿はかつて思っていたものに負けてしまっているという現状認識があります。

大きな夢を掴むためにギター・ロック・バンドを続けているのです。

しかし仲川慎之介が書く歌詞はどれも生活と地続きである印象があります。

大きな夢にあるファンタジーめいた嘘くささとは無縁なのです。

そこには若いリスナーが夢を見る隙間もなくなるほどの荒涼たる現実が背景にあります。

この嘘がない点を時速36kmのファンは愛しているでしょう。

いまの時点で何も負けていないと応援したくなるはずです。

しかし生活弱者というリアルな側面から目を背ける訳にはいきません。

「動物的な暮らし」をそのタイトルとおりに固有のグロテスクさがあります

そのグロテスクさが現実に由来することをよく見ておきたいです。

しかしこうした現状の中でも時速36kmは生きる意志を捨てません。

彼らだっていつまでも敗者に甘んじているつもりはサラサラないのです。

この胸の痛みは何か

現実逃避できない歌を

懐かしい風景へ逃げこんじまった夕暮れ時
ここじゃ鼻歌さえもバカ刺さる
苦しいぐらいにバカ刺さるんだ

出典: 動物的な暮らし/作詞:仲川慎之介 作曲:時速36km

夕方、オレンジ色に染まる風景の中で懐かしい日を思います。

こんなときは郷愁が胸にあふれてくるのを抑えることができなくなるのです。

幼い頃に思い描いた理想と目の前の現実のギャップに胸が軋むのでしょう。

若手のロック・バンドとして時速36kmよりも厳しい活動をしているバンドは星の数ほどいます。

しかし下を向いて安心することもできません。

絶対的な成功とはまだ遠いところにいる現在の姿をかつての自分は想像したでしょうか。

口ずさむ思い出の歌が自分の胸を抉るような思いがします。

なぜ苦しくても必死で生きるのか。

この先に仲川慎之介が見つめているものは何なのか、その夢のようなものもあまり語りません。

ただひたすらに現実と地続きの歌を聴かせてくれるのです。

時速36kmの歌は現実逃避さえさせてくれません

しかし同じようにこの歌が胸に刺さる人によって支持されています。

そしてこうして胸を痛めている人は少なくありません。

むしろ社会の大多数にとって切実な歌になっているのです。

時速36kmのライブは東京ですと下北沢Daisy Barなどで行われていて多くのファンが詰めかけます。

限界というものへの挑戦

憧れは長い旅の果て 回り回って後ろ向きになる
俺の世界の果てはどこだった
俺の世界の果てはいつだった

出典: 動物的な暮らし/作詞:仲川慎之介 作曲:時速36km

仲川慎之介は果てというものに執着します。

旅の行き着いた先、一番ここから遠かった場所への憧れでしょう。

かつてすべてに「否(ノン)」を突き付けた作家であるセリーヌという人がいました。

夜の果てへの旅」という不朽の名作小説を遺したものの極貧の中で死んでゆきました。

まだ若い仲川慎之介と時速36kmの運命が斯様に過酷だとは思いません。

しかし果てというものを追い続ける姿勢には鬼気迫るものがあります。

実際に果てに到着してしまうと仲川慎之介の旅は終わってしまうでしょう。

いつまでもハングリーなままに世界と対峙してゆく彼はこの理由のために果てに気付きません。

残高7円という行き着くところまでいったという生活をしているのですから彼の居場所は社会の極北です。

それでも若い頃は経済的に不安定な暮らしでもやっていけるだけの気力にあふれています。

長くこの生活に甘んじる気はないでしょう。

果てというものをいつまでも探し続けてゆくだけの気概が彼にはあります。

それは極貧の「動物的な暮らし」の果てというものではないはずです。

音楽的な成功と商業的な成功が同じではない音楽ビジネスの世界でどう生き抜くか。

時速36kmの今後の動きは本当に楽しみで仕方がありません。

果てというその先で何かしらの成功を掴んで欲しいと願わずにはいられないのです。

一方で果てにたどり着いてもこの人たちは満足しないのではと思わせる逸材でもあります。

最後に 「動物的な暮らし」の先へ

ステージによる神秘化を超えて

気取って見えるかい

出典: 動物的な暮らし/作詞:仲川慎之介 作曲:時速36km

仲川慎之介はもう一度この言葉を叫びます。

絶唱に近い歌い方で表現するのです。

時速36kmのパフォーマンスは特にカッコつけているものではないでしょう。

もちろんどう見せる・魅せるということを考え抜いてはいます。

しかし華やかなステージングでショーを構成するタイプではありません。

それでもステージというものの魔力で彼らの魅力は引き立ちます。

ライブでこそその音楽を聴きたくなるようなギター・ロックを響かせるのです。

その姿が冴えたものに見えるのは当然のことでしょう。

しかし自分の銀行残高が7円しかないという現実まで晒してくれるアーティストはいません。

ステージが作り出してしまうバンドの神格化・神秘化のようなものをあえて地に落とします。

生活人としての姿を見せるアーティストは夢がないと嫌う人もいるはずです。

しかしもうこの国の理想の生活のようなものが虚構に過ぎないことを人びとは知ってしまいました。

いまだに夢を見ている人もいますが、それはその人が現実に目を閉ざして寝ているからです。

時速36kmは気取らないための美学というものを打ち立てています。

取り繕わないことでリアルに響く歌を歌うのです。

最低限ギリギリでも生きてやる